レストア計画始動 1

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INTRODUCTION

親戚の駐車場で保管されていたクラウンはついに行き場を失う憂き目にあってしまった。親戚の家の付近にマンションを購入した別の親戚がそのマンションの駐車場は家賃が高いから、私のクラウンを撤去して、そこを使わせてくれないかという事になってしまったのである。もはや保管する当てが無いクラウンを待ち受けるのは廃車、スクラップしかないように思われ、自分の経済力のなさによる不甲斐なさを感じた。親戚も祖父の死後から10年ほど経過した事もあり、もはやこのクラウンが形見という意識もとっくになくなってしまったようで、いつまでおいておくつもりだという態度なのである。私は自動車というものは時計や、メガネや靴など形見として扱われる物品として少しも劣る所は無いと思っている。自動車ほど購入するときの金額が高いものも他には滅多に無いだろうから、個人の遺品としては動産としては最も遺品的価値があり、自らもそれを運転し命を預けるという一体感は他の一般的な遺品では得る事のできない感動があるように思う。

 いよいよ、か、とその話を父から伝えられたときに、私は覚悟するしかなかった。父もこの時点では、廃車にする方向で考えていた。私には今、保管場所を新たに見つける経済的力が無いから、仕方が無いとあきらめるしか無いように思われた。とりあえず、親戚の駐車場からクラウンを整備工場の人に頼みキャリアカーで自宅まで移送した。なぜそのまま、スクラップにしなかったのか、それは、せめて5年間もほったらかしにしてドロドロになってしまったクラウンを廃車するにせよきれいに洗車してからにしたかったからである。その気持ちは父も私も同じであった。私と父は、駐車場できれいに車を洗いつつ、その損傷具合を確認していった。

外装についてはさびがかなり進行しているものの、きれいに洗車すると、かなりきれいな部分もまだまだ残っている事が分かった。バッテリーをジャンプしてスターターを回すと回るには回るがエンジンが始動しない事が分かった。電装系については、ドロドロになったサイドウインドウ、しかもハードトップの形状の為にウエザーストリップとも5年間くっついたまま放置されていたサイドウインドウは全く問題なく開閉でき、驚かされた。しかも、4枚全てのウインドウで異常が無いことが分かった。フェンダーミラーの電動調節も問題なく稼動した。トランクの電磁スイッチも問題なかった。室内は、天井の内張りははげてしまって落下しているもののシートは汚染されておらず、5年前の状態と変わらずだった。泥のような堆積物をすっかり取り除き、きれいになったクラウンを見て、そのスタイルにあらためて美しいと感じた。

父はエンジンがかかるようにするにはいくらくらいかかるか、整備工場に見せてみようか、と言った。私は、しかし、廃車にするのであれば余計なお金をかけてもしょうがないんじゃないかと思った。おそらく、父はこの段階で自分の父親の形見としてクラウンを再認識していたのであろう。父は雨で車体が濡れるとサビ穴から水が車内に入ってしまうからと、カバーも購入してきて装着していた。私には何も言わなかったので、この時点では、それ以上の修理を考えているとは全く予想していなかった。とりあえず、自走できるように修理するまでにどれくらい費用がかかるかを整備工場で見て貰う事になった。再び整備工場の人に頼みキャリアカーで整備工場まで移送した。

私は、それほど大きい問題は無いはずだと思っていた。なぜなら、かなり、ナンバーを外す前に整備は施してあり昭和52年式、車齢にして現在29歳(当時は24歳)にも拘らず、日常の通学車として使用でき、一度たりとも路上で立ち往生などした事が無かったのだから。それでも、5年間も油液類を全く交換していないことによるダメージは私には想定外未経験のものであり、もしかしたら、エンジンもラジエーターもオイルやLLC漏れは無く規定量を維持していたものの詰まってしまって致命傷になっているかもしれないという心配は多少はあった。しかし、整備工場からの回答は驚愕するものだった。燃料ラインの一部で漏れが見つかり、それで圧力が足りていなかっただけでそのパイプを交換しただけで、問題なくエンジンは始動し、安定しているということだった。その他機関についても、問題なく自走可能と云う事だった。修理には数千円しかかからなかったと聞き、私はこのクラウンの時代の日本車の凄さ、この時代の日本人の凄さを感じずにはいられなかった。

意外なほど、車の機関のコンディションが維持されている事が判り、父はとんでもない事を企み始めていた。はじめは、車検が通る程度にもう少し手をいれて外装も板金しなおして、雨漏りは気にせず晴天時にだけ父がセカンドカーして使おうかなーという感じだったので、私も廃車になるのを免れることができてよかったな、と思っていた。しかし、いつの間にかに整備工場の人と相談しあって、フルレストア計画を企てていた。レストアなんてとんでもなく手がかかり、その費用も半端じゃない事を私は知っていたから、どちらかと言えばけちなタイプの父だから、見積もりを見て止めたとなるに違いないと思っていた。しかし、我々のクラウンを治す為に、程度のいいほぼ同型のクラウンを購入したから、来週には整備工場に届くから見てこいと聞かされたときには驚いた。シャーシ構造にボディーを架装する構造のこの時代のクラウンは、程度のいいボディー(外装)のドナー車を我々の程度のいい機関・シャーシに乗せ変えたほうがちまちま板金するよりも安く済むばかりか、シャーシを1時、剥がす事でシャーシの状態を点検し徹底的に補修・加修する事ができると相談の末に決まったそうだ。その費用は、ドナー車両の費用約35万円を除いて100万円でやるという話をつけてきたそうなのである。期間は工場が暇なときにやるということで1〜2年かかると云う事だった。

ドナーとなるべくはるばる船で送られてきた車は確かに内外装とも極上の部類に入る車であった。機関は余り手が入っていないようでアイドリングは安定せず、しかも、電子制御インジェクター方式で2000ccのタイプだった。我々のクラウンはキャブレーター式2600ccだから、こちらの方が機関はかなり高級かつ程度は良かった。特筆すべきはオリジナルのホイールで、これが無傷で装着している事には歓喜した。以下にドナー車の写真を掲載する。いつになるかはわからないが、颯爽と新車のようにレストアされたクラウンを運転できる日が来ることを気長に待つことにしよう。今時、130万円で買える車は軽自動車、1000cc車くらいだろうから、これくらいのお金で車道楽の最高峰、レストアができるならそれほど狂った判断とは私は思わない。私は、父親の私以上の自動車への思い入れを垣間見る事ができて、嬉しかった。

作業が進んだら、HPにも掲載していく予定です。

 

                    

 

NEXT20068月) いよいよ、元の車体のばらしが始まりました。シャーシだけにしてボディーをドナー車両のものを乗せ換えの予定です。シャーシも予想以上にサビサビでした。
NEXT20069月) 錆びさびだった元ボディーの大まかな修復が行われ、一部をドナー車から献体作業が始まりました。

NEXT200611月) 機関移植完了しました。電装系の移植がかなり大変そうです。

NEXT200612月) 外装の大まかな板金が終了し、エンジンルーム・トランクルームの塗装が始まりました。

NEXT20073月) 外装関係がほとんど終わりました!

NEXT20075月) ひとまず完了し、車検を取りました

 

 

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