ドイツ自動車王国視察記

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はじめに

 自動車はいまや万人が所有できる時代になり、その性能差やデザインについて万人が服装や食べ物への関心と同じようなレベルで評価するようになって久しい。ほんの50年前まではその基本性能が国際基準に達していなかった日本車も今や世界基準とまでいわれるようにめまぐるしく自動車を取り巻く世界は変化してきた。性能が格段に向上していまや世界一とも評価を受けている日本車だが、日本人の間での評価はドイツ車にははるかに劣っていると言う人々と国産車以外は全て欠陥品と言う人々に極端に二分化している。日本車のライバルとして常に比較されるのはイタリア車やフランス車やアメリカ車ではなくドイツ車であることは不思議ではない。日本は自動車の開発においてその目標としてドイツ車を常に見据えてきたとされているのだから。その流れは日本だけでなく、英国や米国、フランスも最近は同じという。ドイツ車はなぜこれほどまでに自動車王国の日本人を魅了し続けているのか。様々な面から日本車のほうが勝っている部分もあまたあるにもかかわらず、ドイツ車は日本で販売される乗用車の10%程度のシェアを確保し続け、現在も順調にシェアを伸ばし続けている。とりわけ、メルセデスベンツ、フォルクスワーゲン、ビーエムダブリュは圧倒的な人気を維持している。私は、日本車の魅力も十分理解していると思っているが、多くの理由からドイツ車のほうがまだ総合的に勝っていると考える。それがただの舶来信仰も影響しているかどうかは分からない。かなり以前から、一度、自分自身でドイツ本国を訪れドイツの自動車王国を見て回りたいと感じていた。自分で行ってその国を体験することで、街中で走っている車を眺めるだけでもドイツでのドイツ車の位置がわかるような気がした。

この視察記はドイツのメーカーの博物館5箇所、工場4箇所の紹介のみでなく、その旅行の過程で感じたドイツ文化も紹介する。

目次

はじめに

旅行の準備

沖縄からフランクフルトへの旅立ち(1日目)

ルフトハンザ航空での快適な空の旅

フランクフルト空港から電車でフォルクスワーゲンの街、ウォルフスブルク(Wolfsburg)へ(2日目)

フォルクスワーゲングループの巨大自動車アミューズメントパーク“アウトシュタット(Autostadt)”へ(3日目)

メルセデスベンツ(現ダイムラークライスラー社)の街シュトットガルトへ(4日目)

シュトットガルト爆走とメルセデスベンツミュージアムへ(5日目)

メルセデスベンツミュージアムへ(5日目)

ポルシェ工場と博物館へ。(6日目)

シュトットガルト郊外のルートヴィヒスブルグ宮殿へ(6日目)

シュトットガルトからミュンヘンへの途中、ドイツ最古の町、アウクスブルグ(Augsburg)へ

BMWの街、ミュンヘン(Munchen)へ。(6日目)

ミュンヘンのドイツ博物館へ。(7日目)

ナチスドイツ時代のユダヤ人収容所GEDEKSTATTE (7日目)

BMW本社と併設博物館へ(8日目)

ミュンヘン市内高級ショッピング街(8日目)

高級温泉街バーデンバーデンへ(9日目)

ドイツの大都市フランクフルトへ(10日目)

フランクフルトの博物館巡り(10日目)

オペルの街 RUSSELSHEIMへ(11日目)

ドイツ最大のフランクフルト動物園へ(11日目)

ドイツ最終日(12日目)

あとがき

 

旅行の準備


 初めての海外旅行であったため色々な準備全てが必要だった。初めてこの視察記を読んでドイツへいこうと思う方にも参考になると思う。インターネットを活用できたことは非常に有効だった。とにかく様々な情報が収集でき、しかも無料で手に入るので経済的なメリットも大きい。パスポートの手配は県庁にある外務省の出先機関で行った。一部の旅行代理店では代行もしているが非常に簡易な方法であるので自分でしたほうが経費の削減になる。旅行には膨大な手続きや準備が必要であったが、一つ一つ代行してくれる業者に頼んでいては手数料も馬鹿にならないし、万が一紛失した場合なのその対処法もよく分からなくなってしまう。自分で労せずやってみることが始めはまず重要だと思う。国際免許証の手配は免許更新所で行う。これも簡便であるが受け取った国際免許証のサイズがかなり大きめ、普通免許証の面積の4倍くらいあり安っぽいつくりだったので外国でなめられないか不安であった。もう少しサイズとデザインを見直して欲しい。航空券の手配は28日前の前売り正規航空券を予約した。正規航空券は割高な印象があるようだが、国内線は馬鹿高いが国際線はかなりまともな割引料金でしかも、解約可能でいろいろな無料でできるサービスも付属しているので経済的だ。座席の指定ができるのもうれしい。国際線は10時間以上座ることになるのでペアで旅行をするのなら必ず後方の2人だけの席(通路側と窓側のみの席がある)を予約しておいたほうがいい。他人と隣に座らないだけでもとても楽なのだ。ANAの提携でルフトハンザ航空を利用した。座席の指定は飛行機のカタログにある座席番号を指定して行ったほうが確実なのだが、カタログが存在しないと言うことであったが、コンピューター上で代理店嬢に確認をしてもらい無事2人がけ席を往復ともキープすることができた。写真の私の隣の席は通路側で、他人とは肩が触れることはない。できれば後ろも再後方が望ましいと欲張ったのだが添乗員や非常用としてかなりコネがないと取れない特別席らしい。いつもツアーコンダクターなどのいわゆる業界関係者しか座っていない。

ホテルの予約は当初は自動車で移動しながらモーテルを現地で見つけていくという計画だったが、旅行日程の大部分がドイツの代表的な祝日連休にあたることが判明し、最低限のポイントだけは予約はとっておくことにした。日本でもチェーン展開している大手ホテルチェーンも割りと手ごろな価格でヨーロッパ・アメリカでは泊まれる。ただし、1人でとまっても2人でとまっても料金は変わらない。2人でいくほうがかなり経済的だ。チェーンホテルがある場所の予約は日本語のオペレーターがいるので安心して予約を取ることができる。できる限り日本語でオペレーターを介して予約することを勧める。最近、アメリカへ行くために平日の午前9時から午後5時までしかオペレーターがいないのでインターネットのホームページを見て予約したが、これが大きな落とし穴があった。申し込んだら直ちにクレジットカードで引き落としがされ絶対にキャンセル不可能という契約での取引形態がインターネットでは存在する。安い料金設定はほとんどこれに該当する。私は一応契約事項を読んではいたが、28日前“28ADV”の契約と書いてあったので28日前以降が絶対キャンセル不可になるという意味と解釈してしまっていた。その旅行予定ではキャンセルする必要が生じ、英語で直接交渉を何度も電子メールで行いキャンセルしてもらうのに本当に骨が折れた。しかし、米国人も話がわかる人もいて何とかお金は一度はカードで引き下ろされたにもかかわらず返金される運びとなった。相当に交渉力が要求されるのでまず返金は無理だと思ったほうがいい。何度も絶対認められないというメールが返ってきた。そういうこともあるから、なるべく日本語でオペレーターを介して予約することを勧める。ちなみにその場合、解約可能である。インターネット上で代理店をしているところに頼んでもほぼ解約可能である。しかし、ドイツの場合、大手ホテルチェーンが展開していないところもある。都市では都心ほどチェーン展開しているところは高級ホテルのグレードしかなく、一泊で23万円もするところしか紹介できない場合があった。インターネット上でアイビス(IBIS)という日本には代理店のないビジネスホテルチェーンを見つけた。IBISはコンパクトだが清潔で快適なホテルだった。都心で電車などとの交通の便がいいところに多く展開しているので便利だった。値段も手ごろで朝食も申し分のない内容だった。IBISのホームページで簡単に予約できる。日本にもこういう割安なビジネスホテルチェーンがあればいいなと思う。ホテルの予約を選んで申し込むのは大変なことには違いないが、代理店で頼むのと決定的に違うのは日本人がまったく泊まっていないようなホテルに泊まることで現地のビジネスマンや家族ずれと接する機会が増え文化を吸収する機会に恵まれると言うことだ。どうしても日本人が複数いると外国人も我々に近づきにくいのである。

旅行保険もかけておくべきだ。これも各社色々あったが、自分で契約内容を細かく組める物が経済的だ。私は2週間くらいの旅行で外国で病死するようなことはまず無いので最小限にした。かわり、事故や犯罪で死ぬ可能性は十分にあるため、1億円の最大限に設定にした。物が盗まれたりした時もたいした物をもっていくわけでもなく盗まれても警察に届けたり非常にややこしい手続きが要求されるので最小限にした。自分の健康状態に照らし合わせて不要な項目は最小限にすることで、1万円の保険料で1億円の保険をかけることができる。セットでこの1億円レベルの保険をかけると2万円以上かかる。セットには不要な保険がたくさん入ってしまっているので、よく考えて選択して入るようにしたほうがいい。

海外で使える携帯電話がある。ANAのパンフレットに基本料金などが無料で借りられるサービスがあることを知り、自動車での移動も考えていたので予約した。危機管理として持っていけば安心だ。通話料が1分で350円以上かかり、受話にも同じコストがかかるので安くはないが車の故障などで見知らぬ田舎で公衆電話を探し回る危険さを考えると必要だと思った。総額で12000円程かかったが、下手な保険をかけるよりもはるかに有益だと思う。

レンタカーの予約は絶対に日本で行っておいたほうがいい。AVISレンタカーが最も安くで、いいセグメントの車を借りることができる。メルセデスAクラスのマニュアル車を予約した。これを7日借りても5万円以下だった。ドイツでも料金表を見たがもう少し高かった。日本で事前予約するのがもっとも低料金で利用できるといくつかの旅行誌でも書いてあったのは嘘ではないようだ。

以上で大体の書類関係の準備は終了だ。次に、10日ほどのこの旅行に必要な荷物の話をしよう。荷物はなるべくコンパクトにというのは誰でも知っていることだが、なかなか難しいことでもある。特に冬場はコートなど衣服もかさむ物が必要で、衣服だけでも大量になってしまいがちだ。重要なことは“どれだけ必要か”ではなく“どれだけの荷物なら持ち歩けて旅行に差し支えないか”である。まず始めに、旅行を車だけでするのか電車なども利用するのかを考えて、カバンの大きさを決めてしまう方がいい。写真は2人分のトランクカバンだ。このトランクともうひとつショルダーバッグだけで荷物は全てだった。しかもこのトランクには帰りに増える荷物分のスペースとして三分の一は空洞で新聞紙が詰められている。内容は一眼レフカメラ、三脚、フィルム15本、ハーフコート、スーツ1着、下着・ハンカチ等3日分、折りたたみ傘、シャツ3枚、ズボン予備1本等である。駅からホテルまで1キロ以内ではあるが徒歩で歩く必要もあるためこのくらいの手荷物以上ではきつい。多い荷物で旅先で悩むと旅は楽しくない。

 

沖縄からフランクフルトへの旅立ち(1日目)

 私は沖縄本島に住んでいる。そのため、フランクフルトへ行くのは国内でも飛行機の乗り換えが必要だ。日本本土在住者でも地方の人なら同じような苦労が必要だろう。沖縄那覇空港から羽田空港へ行き羽田空港から成田空港へ電車を乗り継いでいく。成田空港からホテルのシャトルバスで成田全日空ホテルで一泊する。今回の旅行で最も分かりにくく、時間もかかり、高価だったのは羽田から成田へ行く過程であった。地方出身者で始めての者には地名もはなはだわかりにくい。ドイツ語以上に奇怪な言語であると感じてしまう。また、表示される字もあちらこちらにあり、ドイツより帰国した際にはまるで香港のような雑然とした感じがした。アクセスも複数あるがどれも便数が限られていて利用しにくい。料金も割高だ。羽田周辺で一泊するよりもへんぴでどこにも歩いていくところはないが成田周辺のホテルに泊まったほうが成田空港へいく時に慌てないでリラックスしていける。成田で一泊した。このホテルのレストランの値段は馬鹿高い。成田全日空ホテルのすぐ隣に小さなお好み焼き屋があり、そこで夕食はした。なかなかおいしく腹を満たすことができた。翌朝もホテルでは食べず空港で食べた。しかし、この後、当たり前と思っていた日本のホテルの贅沢さをドイツにいってからつくづく実感することになる。

ルフトハンザ航空での快適な空の旅

 
 成田からフランクフルトまで4月ごろは12万円で行くことができた。沖縄から羽田の分もオプションでプラス1万円で乗ることができる。エコノミークラスとはいえルフトハンザのシートはゆったりと素晴らしい物だった。食事も素晴らしかった。国際線は初めてだったので食事の豪華さにはとても驚いた。ドイツ白ワインものむことができた。スチュワーデスはやや年配のドイツ女性が丁寧にゆったりと業務をこなしていた。日本人のスチュワーデスのようにあくせくした感じを感じさせないのが印象的だった。日本人のスチュワーデスのようにとにかく忙しい感じがしてスピード感のある仕事をされると客のほうもこれくらいで物を頼んではいけないかなと気後れしてしまうのである。特に若い女性にこの傾向が強く“ゆとりある空のたび”は台無しにされてしまう。ドイツ人の働き方は非常に好感が持てた。全てが上品にゆったりと行われる仕事振りは客にもゆとりを生み、“ありがとう”とか“おいしかったです”とかをドイツ語で言ってみる余裕も生まれた。私たちの乗った便が、ANAの添乗員が乗らない便だったことも幸いだった。帰りの便は日本人客も乗り、ANA添乗員も乗っているいわゆるツアー便で行きの便と比較して日本人乗客のマナーの悪さやスチュワーデスの前述したような態度が目に付いてしまった。行きの便はドイツ人客ばかりで、ドイツ人との会話も初体験できた。後席のドイツ人女性が窓から外の景色をどのあたりか地図とにらめっこしている私に丁寧にジェスチャーで教えてくれたりした。地中海かどこかのフィヨルド地帯は美しいので見ないで行くのはもったいない。

 

 

フランクフルト空港から電車でフォルクスワーゲンの街、ウォルフスブルク(Wolfsburg)(2日目)

 

 空港内は標識は分かりやすくシンプルで一度も迷うことなく手続きを終了することができた。夕方に着いたのでまだ外は明るい。電車の便はあらかじめインターネットでドイツバーン(以下DB:ドイツ交通)のホームページから時刻表が見られるので何時ごろウォルフスブルクに着くことができるかは計算済みだ。この時刻表はインターネットを使う以外には東京のドイツ大使館とかに行かないと見ることができないので非常に重宝する。必要な路線は全てプリントアウトしていくべきだ。そうすれば、駅員にそれを見せてどこで乗ればいいかをジェスチャーのみで教えてもらうことも可能だった。ドイツには何日間か設定して乗り放題にできる切符がある。これを利用すると新幹線にもただで乗れるので非常に経済的だ。これをまずこの空港内のDBのサービスカウンターで購入した。ここの職員は少々無愛想だった。言葉もろくに分からない日本人を快くは思わないようだ。英語をあまり理解しない職員もたまにいるので注意が必要だ。金額が二人で4万円くらいしたので間違いがあると取り返しがつかない。下手な英語でもしっかり説明を聞いたりしておかないと言葉の勘違いで別の物を買わされかねない。2日分の物と5日分の物、両方あるのでどちらかきっちり把握してからクレジットカードを渡すようにしたい。はじめ、2日分を買いそうだった。二人分と二日分がうまく伝わっていなかったためだ。発券された券もよく読んでから受け取る。

電車は途中で車両が分裂してしまう路線もあるので、自分の行き先に合わせて乗る車両を選ばなければならない。間違えると、途中から路線が変わり別の駅に着いてしまう。トイレも要注意だ。荷物を置いて別の車両のトイレに入って途中停車駅についてしまい、トイレに入っている車両が分断され別の方向へいくことも考えられる。電車が止まっているときは車両を移らないことだ。ドイツの連休に当たっていて非常に電車は混雑していた。しばらくは廊下で過ごしたものだ。座席も予約されている物もあって名札のような物が上に張られていたり、高級な車両ではデジタル表示されていたりする。これも最初まったく意味不明だったので空いているところに座ってしまっていて乗り込んできた予約客に席を譲るように言われたこともしばしばあった。電車内の食べ物・飲み物はとても高いので駅で買ってから乗ったほうがいい。駅で売られている物は日本に比較するととても安い。食べ物・飲み物は特に量に比して非常に安い。

非常に電車は疲れるが、座れれば快適である。座席は清潔で仕立てもよく乗り心地は素晴らしい。ドイツ車のシートのような感じなのである。普通の電車の普通席で十分上等のシートがおごられているのにはとても驚いた。電車内の内装も清潔感のあるシンプルで上品な物だ。日本の電車はこれに比べると貧しい。座席の質も比べようが無いほど貧しい。ドイツの車両の座席は基本的に一人がけで新幹線のような配列でプライバシーが守られている。したがって、日本の満員電車のように立ってぎゅうぎゅうズメと言う状態にはならない。電車内での痴漢というのも起こらない。ただ、ドイツも地下鉄は一部日本の電車のような構造のような物もあった。しかし、大勢乗っていたが人と人が触れないような間隔でみんな乗っていたので、日本の状態はかなり病的だと思う。ある程度人と人との間隔をあけて乗れないのであれば次に乗ることを考えればいいと思っても、しかし、電車のダイヤが悪いのでいつまでたってもそんなことを言っていたら乗れないのだから仕方ない。ドイツではかなり込み合う時期だったが電車を見送る必要も無かった。これはダイヤの計画が緻密で適切なのであろう。

 

 
 フランクフルト空港駅からハノーファー(Hannover)へ新幹線で移動、ハノーファーで乗換えでウォルフスブルクへ向かう。ドイツは思っていたよりも夜型社会で9時ごろでも駅の中のお店は開いていた。したがって、初めての外国での移動ではあったが夜道の危険を感じることは無かった。ウォルフスブルクへついたときはだいぶ遅くなっていた。地図でみると近いように見えてもフランクフルトからハノーファーまでが約200KM、ハノーファーからウォルフスブルクまで60KM以上離れているのであらかじめ電車の時刻表を手に入れておかないと遅れてしまって、電車がなくなってしまう可能性もあった。JALANAの便で成田で一泊せずにドイツ現地に夕方6時頃つく便もあったが、これでは電車を乗り逃がすことが時刻表より分かったため成田で一泊し現地に昼後には着く便を選択したのだ。ホテルへの到着が6時以降となるため移動中の電車から携帯電話で送れる旨を電話しておいた。ドイツの電車ではみんな平気で携帯電話を使用しているがプライバシーを守られている座席配置のためにさして耳障りではない。車内のアナウンス案内も最小限の音量で静かなために通話音量も普通に会話するのと変わらない。着信音も控えめな設定にしている人が多い。日本のように携帯電話を使うことに躍起になってみんなでいらいらする光景は無い。何もかもがせかされイライラしていて混雑して雑音が多い日本の車内とは全く違う。

ホテルはホリーデーイン・ウォルフスブルクで、駅からは少し距離があったのでタクシーを利用した。タクシーはアウディでマニュアル車だった。運転手は涼しい顔で静かでスムーズな運転で時速80Kmくらいで幅の広いよく舗装された街中を走っていった。運転手は荷物が多いことを即座に気づき下りてきてトランクへ入れてくれる。これは外国(先進国)では当たり前だ。日本のタクシードライバーだけがトランクだけはスイッチで空ける不精をする輩が多いと言う評判だ。当たり前のことでもきちんとしてくれるとさすがだなと感じてしまう。タクシー代は1500円くらいだっただろうか。もう少し安かったかもしれない。チップは100円程度のおつりで済ませたが、丁重な御礼を言ってくれ終始丁寧で好感が持てた。近距離でもこのように気持ちよく仕事をしてくれると有り難い。拝金主義の母国では近距離の客をクズとかスカと呼び迷惑そうに仕事をする愚か者が多く気分を甚だ害される事は少なくない。ホテルに行く前に駅でサンドイッチを夕食用に買っておいた。ホテルの部屋は広くて快適だったが、テッシュペーパーが無いこと、ゴミ箱に袋が入っていないこと、石鹸が無いこと、バスローブが無いことが奇異だった。しかし、これはその後、気づくのだがドイツの一般的なスタイルなのだった。石鹸は無く、シャンプー・リンスと兼用のボデーソープでまかなうとボトルに書いてある説明書で分かった。大きなサイズのベッドが気に入った。これだけの部屋が2人で12000円で朝食つきで宿泊できるのだから、ドイツ旅行は病み付きになりそうだ。その晩の夕食は寂しいが冷たいサンドイッチとなった。疲れで二人ともすぐに熟睡してしまった。

 

フォルクスワーゲングループの巨大自動車アミューズメントパーク“アウトシュタット(Autostadt)”へ(3日目)

  
 ドイツ流の極めて多種類のシリアルと麦パン、少し塩分強めのベーコン、ハム類、フルーツ、上等のミルク、各種生ジュースの朝食を食べた。テーブルや重量感のある食器も質素だが清潔で大事に長く使われている物のようだった。日本のサービス業が必死でやっている挨拶運動などは皆無だ。店に入っていっても誰も何も声をかけない。自分で席を見つけ座っていればそう待たせずにウエイトレスがやってきてコーヒーを注いでくれる。このときにさりげなく部屋番号を聞かれるので答えれば認証は完了だ。野暮なチケットの受け渡しやかぎを見せる必要は無い。全ては信頼で成り立っている。したがって、店内は極めて静かだ。周りが静かだと話し声も大きくする必要が無く、総じてよい環境が保たれる。日本では店員ががんばっているところを強調するためだけの大げさな会釈と無理やり言わされているだけの大声の挨拶で歓迎を受ける。不愉快とまでは思わないがとにかくうるさいのである。食事をするところなのだからドイツのような環境のほうが私は好ましいと思っている。しっかり朝食を堪能し、アウトシュタットへの行き方をロビーで聞いた。歩いて40分くらいのところだったので歩いていくことにした。受付のドイツ人は歩いていくのですかと驚いてタクシーを手配してはどうですかと言っていた。これくらいなら歩けますと言うと日本人はよく歩きますね、すばらしい!と言われ、地図をコピーして丁寧に教えてもらった。このたびの最大の目的であるフォルクスワーゲングループの巨大自動車アミューズメントパーク“アウトシュタット(Autostadt)”へ早速むかう。歩いてみて確かに遠いかもしれないと思ったが見知らぬ外国を朝気持ちよく散歩するのは爽快だった。少し寒かったが歩いていれば気にならない。年配の人には少しきついかも知れぬ。タクシーも安いので施設内もかなり歩き回らないといけないので体力を温存する意味で利用したほうがいいだろう。

知らない人も多いと思うので、アウトシュタット(Autostadt)について簡単に説明しよう。フォルクスワーゲンの本社工場があるウォルフスブルク市に、同グループがプロモーションする総合アミューズメントパーク的巨大施設だ。2000年頃にオープンしたばかりの新しい施設でアウディ、ランボルギーニ、ベントレー等のテーマパビリオン、リッツ・カールトン・ホテル、カスタマーセンター、多種類の車が展示されている自動車博物館など広大な施設に工業デザインの最先端の建築物が並ぶ。

この施設ができたというのを自動車雑誌で見たのがこのドイツ旅行の最大のきっかけである。いつか行ってみたいと思っていた夢が叶う瞬間は今でも忘れられない興奮と感動がある。延々と様々な種類・年式のゴルフやアウディが駐車されている広大な駐車場沿いに歩いていくと大きな煙突が立っているVWのマークがついている工場らしき建物が見えてきた。これは後で分かったのだが、工場専用の発電所だった。エントランスはアルミ調で統一されそのデザイン性は非常に高い。質感も高く、異次元のようなまるで別の星にきたような錯覚に陥った。清潔感もここまで究極になるとやや無気味でもある。よく雑誌とかで紹介されているタワー型の建築物は実は中には入れない。これはオーダーされた新車をカスタマーセンターに受け取りにくる客のために保管しておくだけの建物だ。説明が不十分な自動車雑誌の記事が多くこれがまるで博物館かのように紹介されているので、きちんと現地に行って取材してから記事にして欲しいものである。 博物館はもっと巨大な施設だった。この博物館、実はあまり報道がされていないのだが非常に充実していている。

左側のガラスの建物が博物館。手前に見える卵のオブジェは子供が中に入って楽しむことができる。この卵はいたるところに配置され冷たい洗練された施設群の中で安らぎを演出するのに一役かっている。施設内はきわめて神経質に清掃・手入れが行き届いていた。

 

特に子供でも楽しめる施設が1階には充実している。子供騙しなものではなく、本格的なコースを備えた物でかなり大きな子供も暴走して楽しんでいた。博物館のすぐ外には少し低学年の子供向けのこちらも日本の箱庭運転教習所のような本格的なコースで、ウインカー、ブレーキランプ、ヘッドライトも装備した電動のミニビートルで交通ルールを学ぶことができる。子供向けではあるがその関連するアイテムのドイツ流のデザインは洗練されていて見て飽きることが無い。子供向けだととかくキャラクター製品になりがちな日本のデザインとは異なりしっかりとした質感と機能美をもった安定感のある質実剛健なデザインとつくり込みが無されている。こういう環境で育つことがその次の世代へ洗練したセンスを継続してつむぎだしているのではないだろうか。ここでは物自体のつくり込みよりもキャラクターでアピールする日本のおもちゃの出る幕は全く無い。 電動のニュービートルは売られていないようだが、あしこぎ用のもう少し簡素なボデーのニュービートルはミュージアムショップで2万円くらいで買うことができる。私も子供ができたら買ってあげたいと思った。博物館の1階は他にサンドイッチショップやカフェテリアが備わる。値段は日本のアミューズメント施設のように馬鹿高くはない。東京ディズニーランドやハウステンボスでは昼食をとるのでさえ一人1500〜2000円も必要であるが、ここでは600〜1000円もあれば十分満足できる。施設内からでられないことをいいことにボッタクリ商法を平気でやる日本との大きな違いだ。子供ずれやデートで来るにしても食事代を心配しなくてすむので地元客も気軽に来ることができるのだ。入場料もこれほどの施設にしては格安だ。1日券で1500円くらいだったと思う。カードを渡され施設への出入りは何度でも可能だ。明日も来る予定にして2日券にして2000円くらいだった。カードは記念にもらえるのもうれしい。 子供の頃から地道に企業イメージをさりげなくアピールするニュービートルの教習所。全て施設利用料に含まれ特別な料金は不要である。車は30台以上用意されていて待つ必要は無い。

 

  

 

 

博物館より施設を見た写真だ。左にある黒ずくめの建物がランボルギーニのテーマパビリオン、手前の川向こうの建物はSKODAというブランドのテーマパビリオン、その間にある平行四辺形の建物はAUDI(アウディ)のテーマパビリオン、AUDI(アウディ)の右側の直角三角形の建物はSEAT(セアト)社のテーマパビリオン、AUDI(アウディ)SEAT(セアト)の間の四角形の建物はフォルクスワーゲンのテーマパビリオン、其の奥の対をなす円柱型タワーはカスタマーセンター用車両プール、左奥の二本の煙突は工場専用の発電所のものだ。

 施設を一つ一つ紹介していこう。アウディのテーマパビリオンはデザインには凝りに凝っているが見所は多くない。デザイナーなど本当のプロで無いとあまり興味をもって楽しめないような感じだった。素晴らしいのだが、抽象的過ぎて感覚には訴えてくるが脳みそで言語としてどう表現していいかわからない分かりにくさと言えば伝わるだろうか。ランボルギーニのテーマパビリオンも同じようなものだったが、こちらはまだ分かりやすい。デアブロが垂直に展示されていて大音響でエンジン音が響き渡るだけなのだがすごいエンジンだろというのは伝わってきた。ほかにも、日本ではほぼ無名であるがセアト社のテーマパビリオンもあった。フォルクスワーゲン社の車両を内装外装を上品に仕立て、おそらくエンジンなども改造しているのだろう。レースなどではかなりの実績があるチューナーのようだと言うことが展示されているレースカーでわかる。セアトはスペインのメーカーだったが現在はフォルクスワーゲングループに属し、ポロなどと同じプラットホームを使用し個性的な内外装で車を生産している。日本には全く入って来てないが、デザイン的にはアルファロメオに近い個性的なデザインであるのでVWジャパンで輸入しても売れそうな感じだ。

  

 

  
四角形の建物のフォルクスワーゲンのテーマパビリオンは度肝を抜く演出だった。内部には巨大な白色の円球の建築物がありいったい何のための施設なのか想像することは不可能であった。完全な球であり、よく見ると底面も浮いているではないか!このようなコンセプトを考えるのは容易だが、これほど完全に具現化するのは非常に高い技術とコストが必要だと思う。ガラスのスロープを昇り中に入ると内部は360度のパノラマ視聴室があった。内部だけ見れば日本にもよくあるようなものなのだが、外観のデザインは圧倒的で個性的だ。この施設には併設会場に其の時にはまだ未発売だったフォルクスワーゲンの最高級プレミアムセダン、フェートンが展示されて多くの客に取り囲まれていた。ドイツ人もそうとうに車好きが多いようでおそらくこの車を買えるのは1%の金持ちだけだと思うのだが、みんな熱心に車の内装外装を見ていた。車体を誰もべたべたとは触らないのは驚いた。美術品を見るように遠巻きに見たり、車内に座り内装を見たりはするのだが不必要に外装には触れない。日本ではこの手の展示ではべたべたと指紋だらけになるのが普通で、とにかく何でも触ってみたくなる習性があるようだ。特に子供がこのような場所でもはしゃぎまわり危険極まりない。ドイツでは子供へのしつけも行き届いていて勝手に触るのを許さない。というか、触ったらおそらくかなり怒られるのを承知していて触ろうとしなかった。しつけはするものだと感じた一幕であった。

次に、この施設のメインの博物館を紹介しよう。ここにはフォルクスワーゲン社の製品にこだわらず諸外国の特にデザイン的に優れた物・変わった物が集められているようだ。車種は非常に豊富で、車の程度もすこぶるいい。見学を十分したいなら4時間程度は時間をとっておいたほうがいいだろう。ドイツ語や英語が全く分からなくても自動車好きなら時がたつのを忘れて楽しむことができると思う。全てを紹介することはできないができるだけ写真で紹介する。


 ブガッティのコンセプトカーとして数年前のモーターショウに出品されていた車だ。実物を見るとなかなか安定感のあるデザインで写真で感じた威圧感ばかりの印象ではなく、つくり込まれたシンプルでシックなデザインという印象を受けた。1億円くらいで売れたといううわさが雑誌に書かれていたが本当だろうか。市販可能なデザインということには間違いない。少し前まではコンセプトカーでもこのくらいの市販可能な仕上がりがある車は珍しかった。



 有名すぎるスーパーカー、カウンタックだ。このデザインは革命的な機械としての機能美も強くアピールする。フェラーリのデザインよりも機能的に必然があってこの形になったと言う印象を受ける。1975年のデザインだがいまだにその先進的なデザインは多くの訪問者を魅了しているようで、見る人が絶える事は無かった。


多分イタリアのイセッタという車だったと思う。3輪自動車で単座の独創的なデザインである。全体の大胆だがシンプルなデザインと細部のちょっとした処理のデザインがうまくまとまり、小型ながら堂々とした安定感のあるいいデザインである。


フォルクスワーゲン・ビートルのプロトタイプ。フロントデザインは市販された物とは少し違う。これを見るとクラシックカー的な古臭い馬鹿でかいフェンダーだなと感じてしまう。天井もやたらに太い骨格を持っている。これはたぶん窓ガラスの製造技術の問題だろう。いくらなんでもこんなに天井をごつくする必要は無いだろう。

ナチス時代の軍用車両としてもフォルクスワーゲン・ビートルは大量に納入された。これは其の当時のジオラマ調のディスプレイである。こういう展示の仕方も日本では考えられない。すぐに戦争賛美やら何とかけちがつき展示する側もトラブルを避けるだけが至上命題になっているので、このような展示は見たことが無い。歴史は歴史としていやな歴史であってもこのようにしっかり表現していくことが必要だ。これを見てこれは何なのか?子供に説明する機会をもてればそれこそが戦争にかかわったくらい部分のあるVW社の歴史を説明することになりうる。其の事実を元に戦争をどう捉えるかは個人の自由だ。日本人の場合、戦争についてこう考えなくてはならないということだけを抽象的に押し付けられる教育ばかりなのでぜんぜん身に付かない。

  
 バンパーはダイヤモンド調の石がちりばめられ車体色は金色にしたつもりだと思うが、金色というよりは単なる茶色になってしまっていた。赤色のプロトタイプと見比べるとかなり現代的な印象を受ける。車の雰囲気というのは細部のちょっとした形状でも印象が変わるのが面白い。日本車の場合マイナーチェンジをよくするが印象が目的どおり変わるケースはまれだ。ほとんどきづかない事がほとんどだ。10年前までのドイツ車の場合のマイナーチェンジは国産車のフルモデルチェンジと同じようなサイクルで行われていたので、外装の変更もぐっと良くなった、変わったという印象を受ける物が多かった。

 車名は不明である。ボデーの制作方法に特徴のある車だ。フェンダーやボンネットなどは左右対称性に真ん中でリベットで留められている。言葉で表現するのは難しい。昔の高級車というのはとんでもなく労力が投入されおそらく値段も恐ろしい物だったに違いないと思わせる力作だった。つくっている職人は作っているのではなく創っていた時代の車だ。

 レーシングカー、メーカーは確かブガッティだったと思う。写真で見るよりも実物はかなり大きい印象だ。人一人が乗る自動車がこんなに大きいとすごい迫力を感じる。この時代のレーシングカーはどれもこういう感じの形でメルセデスの物も多種類あり総じて美しいデザインだ。現代のF1カーは私はあまりデザイン的に美しいとは感じない。この時代の車の創造的な美しさを感じる車が好きだ。

 写真に載せたのは一部で展示されていた車はこの3倍くらいはあったと思う。フォルクスワーゲンの古いセダンもなかなかよかった。その時代の流行も軽く取り込みながらも質実で端正なデザインでまとめ上げたもので、現代のデザインコンセプトにつながる物を感じる。この博物館今まで見てきた自動車の博物館では最もお勧めできる。

 

 
  

 

 もうひとつの目玉は、工場見学だ。Autostadt内に工場見学専用シャトルバスの乗り付け場がありそこで当日に予約をする。見学の費用は無料である。VWのロゴの入ったバッチを服の襟や帽子につけて工場を見学する。見学は前面ガラス張りの専用車両に乗って座ったままで案内してくれる。工場内は清潔で作業者も談笑しながら作業している者も結構いてリラックスした雰囲気で仕事していたのが印象的だった。女性も大勢働いていた。トヨタの工場も見学したことがあるが、このような雰囲気ではなく、特別にせかされているというほどではないが、談笑する余裕は無かった。工場見学中は撮影禁止なので写真は残っていない。ラインにはゴルフが中心に流れていた。時間にして40分位だったと思うが、ただのプレスされた鉄の板が組み上げられてみて見ると自動車になっていくのを見ると、直すよりはつくるほうがはるかに簡単なのだなと感じる。ぐしゃぐしゃになった車を一生懸命に治しても、元のとおりにはけして戻らない。その労力とコスト、得られる結果を考えるとこんなに簡単にくみ上げられていくラインを見てしまうとどうかな、と思ってしまう。

日も暮れてきて、疲労もピークに達してきたのでホテルへ帰る。見きれなかった部分は、明日の午前中にもう1日訪れてそのまま電車で次の目的地へ向かう。この橋はAutostadtの駐車場から街へかかる大きな川をまたぐものでこの建築デザインも非常に美しい。近未来的なのだがけばけばしくなく安定感があるデザインだ。日本の公共施設のデザインは醜く奇怪な物があまりにも多い。景色との調和や時代の変化にも耐えうる建築を考えたものは非常に少ない。ドイツの公共施設で日本にあるような奇怪なデザインの破綻した3流の建築物は皆無だった。建築士のセンスが悪いのかそれを採用する役所のセンスがダメなのか、金だけの国、日本が少し恥ずかしくなった。

 夕食は帰路途中の歩行者天国の商店街でピザを買ってホテルで済ませた。ホテルでの夕食は高かったからだ。予算の厳しい貧乏旅行も、自分で地元のピザ屋を探してみるなど色々新しい発見があるので若い時の旅行では必要なことだ。金満日本の学生のように、贅沢なプランで旅行し交通機関もタクシー−やツアー会社のバスだけ、夕食はホテルで済ませてしまうとこのような地元の文化とじかに接する経験は乏しくなるに違いない。

 

メルセデスベンツ(現ダイムラークライスラー社)の街シュトットガルトへ(4日目)


 午前中は前日に見きれなかったAutostadtの施設を見てそのまま電車でシュトットガルトへ向かう予定だったので、朝にチェックアウトをし荷物を持ったままAutostadtへまたしても徒歩で向かう。大きなトランクを持っていくのだが、キャスターつきなので大丈夫だろうと思っての無謀な行動だ。ドイツの歩道は広くてキャスターつきのトランクを転がしながらでも問題ないと思ったのだが、アスファルトの目がかなり粗く音がガラガラとうるさい。これは滑らないような目的かコストの都合か分からない。滑りにくいことは間違いないが。完璧なバリアフリーと聞いていたが、そんなことは無く、日本よりはずっとましだが段差はあちこちにあり、持ち上げて乗り越えないとキャスターが割れてしまう。やはり、何事も完璧ということは無いのだ。バリアフリーはそこそこという程度だ。タクシーにすればよかっと思っても流しのタクシーは少ないのでつかめない。きつい散歩だったがとにかくたどり着いた。ドイツの信号機は歩行者と車が完全に分離されている。日本のように進行方向に車が流れているときでもその方向に歩道を渡るときには進行方向から右左折してくる車を注意する必要は無い。歩行者信号がOKなときは右左折様の信号は絶対に赤になっているからだ。このシステムは外国では普及しているという。不注意なドライバーによる巻き込み事故を防止するのにきわめて有効だ。馬鹿高いコストが掛かっている日本の天下り企業発注のただの信号機よりも、シンプルでローコストのドイツの信号のほうがコスト的にも有利なはずだ。コスト面も安全性も完全に劣っている日本のシステムを改良できないのは日本の閉塞感を象徴している、と重いトランクを転がしながら感じた。

 

 

Autostadtのすぐ近くにフォルクスワーゲンの昔のロゴマークにもなっている古城がある。ウォルフスブルグ城だ。城も素晴らしいがその周りの景色がまた素晴らしい。景観として全てが丁寧に管理され調和を保っているので全体としての格調や雰囲気が非常にいいのである。城は中庭までは無料で入っていくことができる。城の中は観覧料が1000円くらいだったか比較的高かったので見なかったが十分外観と中庭だけで楽しむことができるのでぜひ行ってみるといい。なにせ、フォルクスワーゲンのロゴマークの城なのだからここまで来たら見ておくべきだ。
 午後2時ごろから次の目的地メルセデスベンツ(現ダイムラークライスラー)の街シュットットガルトへ向かうために再びハノーファーへ電車で戻る。ハノーファーからの車窓が素晴らしかった。昼間に電車でドイツの風景を見るのはこれが初めてだ。街中も歩道が広く道路も広いので圧迫感は無い町並みだったが、車窓から眺める田舎の景色は雄大で気持ちのいい景色が続く。日本の田舎のようなパチンコ屋や観光のための無粋な看板の乱立は無い。したがって、まるで映画のようにパノラマに美しい景色が延々と流れていくのである。電車の中も比較的すいていて快適だ。ドイツでの旅行には電車がお勧めだ。自動車では運転手はこんなに悠然と景色を見る余裕は無いし同乗者も見知らぬ町の地図とにらめっこなのでそんな気分にはなれないはずだ。


電車の移動をトランクを持ちながらするのは大変だろうと思っていたが、ドイツの駅の階段にはトランクを運んでくれるとても便利な装置がありそれが役立った。これはカバンを載せると自動でスイッチが入りベルトコンベアによって上まであるいは下まで運んでくれる。料金は無料だ。旅行者以外は使わないので各階段に一本しか設置されていないが込み合う事などはなかったので利用しやすかった。ちょっとした装置だが何度も階段を上り下りする旅行の時にはかなり労力の軽減に貢献してくれたと確信する。こういう装置はかなり前からあるそうだが日本には導入されるという話は聞かない。日本では必要ないと企業も政府も考えてのことだろう。海外視察などバスを貸しきってしまうだろうから、あるいは全てポーター任せだろうからこういう装置の存在を知らないのかも知れない。 トップの人間の想像力の乏しさは顕著だから、決断する地位の人に自分自身でトランクをかつがせてドイツを旅行させてみないとこの便利さは分からないのだろう。それでも分からない、分かったとしてもやらないほど無能な可能性は十分あるのだが。


 
 シュトットガルト駅からホテルまでは徒歩ではかなりあるので、地下鉄を利用する。ドイツの大きな町には必ず“i”という大きな看板の目印の場所に町の案内所がある。ここで地下鉄やその周辺の地図などが無料で手に入る。有料の物もあるが、広告つきのものでも十分に使えるのでわざわざ買う必要は無い。地下鉄は写真のような自動販売機で購入するのだが、その料金設定が独特で説明を読んでもあまり意味が分からなかった。しかも、日本のような自動改札が無いので完全に信頼の元で運営されているため、逆にミスをしていても気づきにくい。忘れてしまった部分も多いが覚えている範囲で私なりに解釈したルールを書いておくが、間違いもあるかもしれないのでそれを念頭に。1ゾーンとか2ゾーンという区切りで駅は区切られていて、放射状の路線図の地図が駅においてあるのでそれを参考に自分の駅から目的の駅までは何ゾーンはなれているかを調べる。往復分ではないので注意する。途中では降りて乗り換えても目的地までのゾーン区切り分ならいいらしい。コインを投入しゾーン数を押す。これで切符がでてくる。この切符を駅の改札口にはさむと駅名を打刻する。この改札口はただの棒みたいなもので、シンプルすぎて始め灰皿かと思ったほどのものだ。人の行き来は自由である。一方通行とかそういうものも無い。ただの棒にただの打刻器が内蔵されそれが時間と駅名を打刻するだけ、これをやらないで電車に乗ると運が悪いと駅員が回ってくる時に打刻が無かったり、切符を持ってなかったりすると厳しい罰則があるので注意が必要だ。日本のようにハイテクと金を駆使して無賃乗車を取り締まっても無賃乗車は後をたたないが、ドイツでは無賃乗車を取り締まるのはごく僅かな巡回の駅員のみだ。この旅で切符をチェックする駅員に出会ったのは2回だけだ。それでも、見た限りみな定期か切符をちゃんと持っていて違反者はいなかった。無駄な予算をかけずとも公共のルールを遵守する精神があれば無賃乗車など無いのだ。ちなみに降りる時は何もする必要は無い。切符は持って帰ってもいいし捨ててしまってもいい。もしあなたが買い方が分からなくてまごついていてもドイツ人は大体が親切で紳士的だから、英語がしゃべれる人は向こうから教えてくれる。失敗談をすると、私たちは始めゾーンというものがゾーン内移動自由切符と勘違いし、往復も2回くらい使ってしまった。あるとき、やはりいくらなんでも安すぎるのじゃないかと思い、親切そうな乗客に尋ねたら案の定、往復ではなかった。この方式は他の地域でも同じだったので、早々とマスターできたおかげで電車に乗るのが楽しくなった。


 
 シュトットガルトに着いたのは午後4時ごろ、まだ明るい時間だったのであちこち疲れていたが散歩して回った。街はごみごみしておらずたっぷりと歩道も整備され、公園も広大で美しく素晴らしい町だった。建築物も古いデザインの巨大な物が多く、デパートも超高級デパートという感じのものは神殿のような古い建築物の中に入っていた。車の量は非常に多く次の日にレンタカーをいよいよ借りる予定だったので不安を覚えた。かなり平均速度は高いし、マナーも悪そうだ。あちらこちらでクラクションがなりまくっている。治安はよく一度も危険を感じたことは無かった。駅内には警備員が所々を巡回している。東京などのほうがよほど街に死角が多くて危険だ。

夕食は街で久しぶりに少し豪華にすることにした。手ごろな値段のステーキハウスがあったので、そこにはいった。ステーキにはステーキソースがかかっておらず、塩と胡椒で味付けがされている。焼き加減はミデアムレアにしたが、日本でのレアの感じだった。肉はやわらかくおいしかったが、ソースがかかってないのがどうしてもさびしい。ドイツ風の食べ方なのだろう。ビールは激安で、とても美味しかった。面白いのは何杯飲んだかの目印にグラスの底面に紙が挟まっている。これは2杯目を注文すると、2杯目のグラスに移しはさまれその数で分かる仕組みだ。グラスには透明あるいは黒字で何ccか量の線が切られている。250ccのグラスなら飲み口の少し下のあたりに水平線とマークが入っているのである。これは店側が量をごまかさないようにドイツでは法律で決まっていることだ。注文にもメニューには必ず何ccか記載がされている。これはアルコールだけでなく、ソフトドリンクも同じだ。紙コップにまでマークが入っている。しかも、氷で量をごまかさないように、基本的に氷は入っていない。ほとんど氷じゃないかと思う日本のドリンクの売り方とは全く違う。しかし、全ての飲食店のグラスにマークを入れさせるとは、凄いとしかいいようがない。こういう環境で車づくりについても安直なごまかしが効かないということは明白だ。三菱自動車のような大変な不祥事が合ってもいつのまにか許されてしまう日本とは全く状況が違う、飲み物一杯で10ccのごまかしも許されない風土ではあのようなごまかしをしたら生き延びることはできないに違いない。 写真はメルセデス社のものではない。シュットガルトの駅である。スリーポインテッドスターが闇にきらめいていた。

 

シュトットガルト爆走とメルセデスベンツミュージアムへ(5日目)


 この日はいよいよレンタカーを借りる日だった。車種はメルセデスAクラスを予約済みだ。そして、メルセデスに乗ってメルセデスベンツミュージアムを訪れるという予定だった。ホテルから中央駅まで電車で行き、中央駅にあるエイビスレンタカーの窓口を探す。しかし、どこにもその看板が見当たらない。ドイツの駅は看板が非常に少なく景観としてはいいのだが、こういう場合に困った。駅の受付嬢に聞き、やっと発見した。エイビスレンタカーは予約を受けていたことを確認し、契約書と国際免許証、クレジットカードのチェックをした。担当者はとても好感の持てる人で説明も丁寧だったのが印象的だった。車種は同じ料金でAクラスではなくCクラスが用意されていた。車のかぎを預かり、地下駐車場の場所を口頭で説明されて、自分で地下駐車場へ向かう。駐車場にはメルセデスCクラスがまっていた。マニュアルミッション車である。駅の駐車場にはメルセデスEクラスワゴンとメルセデスVクラスのパトカーが止まっていたことを考えると、Cクラスも普通のレンタカーとして使われているのだろうと思った。メルセデスを日本で所有している私だから、操作形は分かるだろうと思っていたが、マニュアル車のメルセデスは少し勝手が違った。しかも初の左ハンドルである。まず、パーキングブレーキがどこにあるか分からない。どこにあったかもう忘れてしまったが、座席の間にあるのではなく、小さな足踏み式の物だった。これの解除は見えにくい場所にあった。地下駐車場なので座席周囲が全く見えないのである。車内灯でも見えにくかった。これが30分くらい見つからず、まず大変だった。とりあえずエンジンをかけてみようと思い、シフトを見てみると、シフトのリバースの位置がわかりにくい。これは私はフォルクスワーゲンゴルフUのマニュアル車も持っているので気づくことができたが、普通分からないかも知れない。少し持ち上げてから手前側に倒す必要があったように思う。まだ、このときサイドブレーキを足踏みで解除できたと思っていたので、駐車場でバックに入れたつもりが1速に入れたままクラッチを軽くつないだ。するとエンストした。サイドブレーキがまだダメだと分かり、探してみたら、手で解除する物だったので、解除をガクンと手ごたえを感じ確認した。で、また、バックに入れたつもりが1速に入れたままクラッチを軽くつないだ、当然に車は前に行こうとする!即クラッチをはずしブレーキを踏みすんでのところで壁ぎりぎりで止まっていた。リバースに入っていないことがわかったので、ゴルフのMTのことを思い出し、今度はきちんとRに入ったのである。駐車場でもう少しでバックするべきを前進させ、ぶつけるところだった。操作系を担当者が少しは教えて欲しい物だ。これでまずかなり命が縮んだ。走り出すと、この車、やはり素晴らしい。静かだし、MTのおかげもあって非常に加速もいい。複雑な地下駐車場を抜けると、そこは今まで歩いてみていた風景とは一変していた。そこは、高速で世界中の高級車が飛び交う戦場だったのだ。公道を走り始めまず驚くのはMTを無意識に左手で操作しようとすることだ。体がとっさの時に左手で操作しようとするのだ。つぎに、信号の変わりが恐ろしく早いということだ。しかも、数も多い。前述のとおり、ドイツは完全分離式のため、信号の数は倍増だ。しばらくは、追い立てられるかのように信号では発進していた。他車のスピードが平均時速80キロ、加速はほぼフルスロットルに近い状態でめいいっぱいで信号ダッシュしている。これも、なれない異国の地では恐ろしくストレスになり緊張状態を作り出す。周りの車も、メルセデスのセダンはタクシーでごろごろしているし普通でイギリス製高級車マセラティやアストンマーチン、アウディTTクーペ、メルセデスSLAMG等、とんでもないパワーの車がすこしでも追い越し斜線にいると煽ってくる。いたくているわけではないのだ。道路があっちこっちに分かれていったり、路上駐車が多かったりで追い越し車線に少しいるだけでも容赦なく煽られる。普通の道で時速120キロでもくっついてこられる世界だ。こちらも、くっつかれるとスピードをあげて空いている空間を見つけ走行車線に戻るのでクラクションはほとんど鳴らされないが、危険極まりない高級車連中が多すぎる。メルセデス博物館を目指して走っていくが、なんどもこの高速環境のおかげで、車線を移るタイミングを逃し3時間ほどシュトットガルトの中心街を5周くらいしてしまった。時速80キロオーバー、最大スピード120キロ、信号ダッシュでストレスと緊張はピークに達した。しかも、これ以上の時間のロスはメルセデス博物館の閉館時間が早い事もあり許容できない物だ。この旅行のプランは自動車での古城めぐりも大きく組んでいたが、このまま運転を続けていてはいつか事故を起こしてしまうかもしれないと判断し、レンタカーを返すことを決断した。元の地下駐車場に戻ろうとするのだが周辺で入り口がどうしても見つからない。何度試みて、地下に入っていてもまた外に逆戻りしてしまうのだ。2回くらい試みてもダメだったので、地下の空いている場所に駐車して、同乗者にエイビスの窓口まで人を呼びにいってもらった。40分くらい待っている間に、警官がやってきた。非常にまずい状況だ。車をどかせといっている。ここに停めてはいけないという。そんなことは十分に分かっているが、また、外に出て迷って同じ場所に戻ってこられなかったり事故を起こしたら、せっかくの英断が水泡に帰してしまう。下手な英語で今エイビスレンタカーの人を呼びに行っているから少しだけまってくれ、車が邪魔だというならあんたが運転してどかしてくれとかぎをみせ渡そうとすると、警官は、何をいっているのだ?という感じで、自分で動かせといってきかない。私はすでに事故を起こすよりは駐車違反でも何でもいいという覚悟だったので、あろう事か、その警官を無視した。その内来てくれるだろうエイビスの人を待ちながら。このとき、掴まれたり、執拗に追求されなかったのはもしかすると普通に走っているとはいえメルセデスに乗っているということ、日本人であること、があったように思う。どう考えても、無茶苦茶な事をしているのは私のほうなのだから。警官と10分くらいもめていたら、警官も忙しいらしくどこかへ行ってしまった。ドイツの警官と話をしたのがこれが最初で最後だが、日本人の警官のような執拗さや陰湿さは無かった。用件は車をどかせということだけで、免許証の提示や、パスポートの提示など日本の警官ならとりあえずしたがる職務質問も無かった。日本では警官とかかわると、むやみやたらにとにかく何でもかんでも調べ上げられるのでかかわりたくないと感じ、事件を目撃したりしても強力に積極的になれないのが本音だ。その面、ドイツの警官は明確な用件のみ注意し、私の説明によって結果的には見逃してくれたのだ。人権無視の日本の警官とは大違いだ。しばらくして、エイビスの人が連れと一緒にきてくれたときは一気に緊張が取れた。エイビスの人は事故でトラぶったと思ったらしく車を丹念に調べ、傷が無いことを確認したら、どうして運転できなくなったのかを聞いてきた。かくのごとくの事情を説明すると納得してくれた。ガソリンスタンドへ向かい満タンにしてくれて、元の場所にまで送ってくれた。料金も予約していた6日分はとられず、1日分の計算をしてくれた。エイビスのフロントの人は“私も東京でいきなり運転したら混乱するでしょう。私なら車を運転しません。事故を起す前に早々に車を返してくれたことはお互いに大変良かった、いい旅を”といってくれ、本当にそのとおりだと感じた。


 車雑誌にはドイツは交通マナーが良く車での観光に適しているとか、最近は観光しにもそのようなことが乗っていたりするが、田舎はそうかもしれないが都心はきわめて危険だということを誰も伝えていない。私はこのような経験から、車でのドイツの旅行は止めたほうがいいと思う。旅先での交通事故ほど厄介な物は無いからだ。確かに車で旅行できることの魅力はとても大きいが、リスクが高すぎると身をもって感じたのだ。

 メルセデスベンツミュージアムへ(5日目)

 
 中央駅からタクシーで博物館へ向かう。タクシーはメルセデスEクラスの先代のモデルだった。窓は手動式だった。Eクラスは普通にタクシーとして頻用されているが、装備はごくごくスタンダードな物で鉄ホイール、パワーウインドウレス、マニュアルミッションが普通だ。メルセデスというとすぐに金持ちだ、見栄っ張りだと騒ぎ立ててしまう島国日本の感覚はカンボジアとかの発展途上国の人々と何も変わらない。金あれど中身は先進国についてこれてはいないのが現状だろう。メルセデスは経済的にも非常に優れた自動車だからこそタクシーとしても採用されているのである。こういう説明をしても、日本では価格が高いから金持ちの車だという途方も無い馬鹿がたくさんいるから話が全くかみ合わない。タクシーの運転はスムーズで混乱していた道をあっけなく進んでいく。15分くらいで着いてしまった。料金は1000円もしなかったように思う。短距離でもサービスは素晴らしい。


 メルセデスミュージアムは駐車場からシャトルバスで行かなければならない。これは本社ビルのすぐ隣に施設があるためだろう。機密保持のため観光客と社員とを隔離するための処置だ。シャトルバスで無く歩いて帰りたいといっても、それは許可されなかった。このミュージアムの内容は往年のメルセデスを中心に展示されているもので、メルセデスの場合、20年前までの古い車でも現役で街で見かけたり、ヤナセで見かけたりしているので目新しさとしては薄い。これはそうとう凄いことだ。博物館展示クラスの車が現役であるというのは、パーツの供給体制と車の耐久性がぬきんでて優れているに違いない。20年以上前のモデルはここでしか見れないものも多数あった。特にレーシングカーは非常に貴重な物が多数展示されていて、一部の上流階級の車マニア間では一台1億円から2億円で取引されるクラスの車もおおかった。テレビでマフィアやネオナチがらみでこの手の超貴重車が売買されているというのを見たことがある。車体も価値があるようだがエンジン自体も価値があるという。なるほど一台一台微妙に形が違い、見る人が見れば見分けがつくのだろうが私にはどれが価値があるのか良く分からなかった。造形はミサイルのようにシャープな形状でブガッティの木靴のような丸みを帯びた形とはだいぶ違う。より戦闘的な兵器のようなデザインでなんとも美しい機能美を感じる。興味がある人は少し予習していったほうが価値がわかってより楽しいのかもしれない。

 


 
クラシックなメルセデスの中でもひときわ華やかだったのがこの赤い車だ。華やかなだけでなくメルセデスらしい冷たい機能美のようなものも兼ね備えているのが他のメーカーのクラシックカーとは一線を画す所だ。造りがしゃきっとして、頼りがいがある機械と言う印象を与えてくれる。これなら公道でも十分走り出しそうだ。そう思わせるクラシックカーというのはそうざらには無い。普通クラシックカーというのは、展示されてこその物で、走らせるには、実際どうかは別として、少し頼りないデリケートさを感じさせるものだが、メルセデスの場合はクラシックでもいつでもがんがん実用可能ですという雰囲気があるのである。 こういう雰囲気は最近までのメルセデスにも継承されているように感じる。その雰囲気に騙されて、中身ぼろぼろのベンツを買ってしまう人も少なくない。

 この車も非常に美しい。耐久性が人並みはずれているようで今でもかなりの数の車がきちんと整備され新車のような状態で現役で走っている。裕福に成れたら一度は所有してみたい車だ。

 
 リムジンタイプのメルセデスは今も昔も凛とした存在感をかもし出している。車の美しさとしてはロールスロイスよりもはるかに勝っていると感じる。機械としての隙の無い機能美は廃れない。この車もいかにも走り出しそうな雰囲気だった。

メルセデスのミュージアムはフォルクスワーゲンの博物館に比べると展示数は少ない。見る時間も1時間もあれば大体見渡せる感じだ。ミュージアムショップもたいした物では無い。ここよりも、フランクフルトのメルセデスショップのほうがはるかに充実しているのでもしグッズを探すのであればここで買うのは止めておいたほうがいい。休館日も多く、遅くまであいていないので訪問される方は詳細に開館日を調べておく必要がある。月曜日と祝日は休館日だから、祝日は良く調べておく必要がある。ここでは手持ちの通訳機械が無料で借りられるのでゆっくり見れる人は日本語の物もあるので借りてみるといい。私は説明がかったるくて長いので、途中できくのを止めてしまった。



 
メルセデスベンツ・ミュージアムのすぐ近くにサッカー場がある。ワールドアップに出場していたチームの選手の服にはメルセデスのロゴマークがでかでかと縫い付けられていた。おそらくメインスポンサーをしていて、練習場も会社のすぐ近くに作ったのだろう。昼食がまだだったので、サッカー場施設の中のレストランで食事をした。魚のサワーソースとジャガイモ料理だったが、少し味付けはこゆかったが美味しかった。ジャガイモは量が多すぎて食べられなかった。


 帰りもタクシーにしようかとも思ったがすぐ近くに駅があるので歩くこととした。しかし、地図上に記されていたその駅はサッカー場がやっていないシーズンのそのときは封鎖されていたので我々はまたかなり次の駅まで歩かなければならなかった。シュトットガルトの町並みは自然に囲まれ、さわやかだ。車を運転している時には目に入らなかった川や、建築物と調和した木々の景色に感動する。自動車も数は多いが日本のように黒煙を吐く車は無かったので比較的空気も澄んでいる。

   街全体が公園のような趣があり、州政府の新宮殿の周りは宮殿広場と呼ばれ特に美しい。一般の人が自由に入れて犬の散歩や昼食をとったり楽器の演奏をしたりと自由に楽しんでいる。広大な公園が憩いの場として有用に活用されている。飲食店などもたくさんあり、テラスでの食事もできる。

 
  メルセデスベンツの少しけばけばしいチューニングブランドとして有名なケーニッヒと同じ名のケーニッヒ通りという高級デパートの並ぶ歩行者天国も中央駅近くで徒歩で数分の場所にある。高級品だけでなく普通のドイツ製品も多数デパートなどでは扱っているので、ショッピングにはとても便利だ。マイセンの食器やヘンケルズのナイフ、シュタイフの熊のぬいぐるみなどドイツの定番のブランド物はいくらでも日本で買えるし、値段も安いといっても1割程度安いかなと思うくらいで、激安ではないので無理してかう必要は無いだろう。それよりも、私は庶民の使っているドイツ製品に私は関心をもち、その出来と価格を良く見て回った。

 シュトットガルトは富裕層が多く、高級ブランドショップもこの写真のように2000万円はするだろうAMGチューンのメルセデスが店舗前に駐車されその雰囲気はまさに超高級という感じがするものだった。ドイツも景気が悪いとは言えこのような富裕層はたっぷりと消費をしている。日本人はどんなに高級な店に入っていっても邪険にされることは無い。それは日本人が服装はきちんとしていなくとも、教養が無くとも、明らかに学生っぽくても、非常に金持ち?(質実なドイツ人からすれば散財とみられているかもしれない)だということをきちんと踏まえているからだろう。それくらい、日本人は海外で消費しているのだと感じ、まあ、実際いくらお金を持っていても、無下に扱われる国民であるよりは悪い感じはしない。 中央駅周囲には博物館や美術館、図書館、絵画館など美しい庭と建築物が多数あり、中に入らずとも外から散歩しながら見て回るだけでも十分に楽しめる。

  
 宮殿広場周囲のお店はいっぱいあって、しかもあまり観光客向けではなく地元の人が大勢は言っているお店なので値段も手ごろな物が多い。ドイツでは妖精のフィギュアがあちらこちらで売られていた。値段は超有名ブランドのもので無ければ1000円くらいで非常に安価だ。私もドイツ独特のメルヘンチックな人形屋さんでお土産を買った。値段は高くないが、作りは丁寧で色使いも控えめで気に入った。写真のパン屋は移動式パン屋でショーケースに多種多様な小さい物からフットボールよりも大きいサイズのパンまで色々売られていた。大きい物でも、500円くらいと値段は安い。リボンのように丸められた形のパンがドイツでは必ず駅前などで売られていて良く食べた。少し塩っけが強いが食べ応えがあり、値段は150円くらいでお菓子感覚で買って食べる物のようだ。ケーキも非常に安い。一つが日本で売られている物の3倍くらいの体積があるが値段は200円くらいだ。味は甘めだがアメリカのお菓子に比べるとやや控えめで日本人の口にも合うレベルだ。美味しそうですぐに食べてしまいたい気になるが、ドイツでは食べながら歩いている人はほとんど無いので、店の外ですぐに食べるのは止めたほうがいい。日本人は欧州ではかなり行儀の悪い人種だと思われているので、特に注意したほうがいい。
 旅行も5日目になり、何事も一通りドイツ流儀が分かり始めてきたのでこの頃になるとかなりリラックスして旅をすることが出来るようになっていた。何もかも自分たちで、やり過ごしてきた自身が出てきたのだと思う。予定していたよりもだいぶ出費が抑制できて旅が出来ているで、先のお金のことを心配しなくてよかったので気が楽になる。英語もかなり自然に話せるようになり相手の言っていることも聞き取りやすくなってきた。言語の獲得には必然性が必要なのだと痛感した。お金のユーロも始めどれがどれだか区別が出来ずに支払いのときまごついていたが、だいぶスマートに支払うことが出来るようになってきた。
 
 
街中の変わった物を紹介しよう。右の写真の建物?は何かわかるだろうか。上側にはフェラーリのエンブレムマークのごとく黄色地に黒い跳ね馬が描かれ、造りも頑丈そうだ。はじめ、スライド式のドアのような物もついていたので、地下シェルターへのエレベーターかと思ったが、よく見ると“W.C”と緑の字でかかれているのが目に入った。そう、これは実は公衆有料トイレなのである。頑丈なのはトイレに困ったコインの持ち合わせの無い人々に破壊されないようにだろうか。さすがドイツとうならせるトイレだった。さすが、といわせるデザインがドイツにはたくさんある。自動車もそうだが、こういうさすがドイツだというデザインのようなナショナリティーは日本車にはなかなか無いような気がする。 この写真は男子トイレの小便器だ。オールステンレス製で一見シンプルのように見えるが底面の形状の処理や楕円のデザインに合わせた受け面の造形など、なかなかの代物だ。これならばけったりしても壊れないだろうし、スプレーで落書きされてもシンナードで一拭きすればきれいになるに違いない。シンプルだけどダサくないいいデザインだ。

 この日もくたくたになるまであちこち歩き回り見て回り、夕食は駅のカフェで済ませたと思う。写真が残っていないので全く思い出せない。ホテルにはディナーを出すレストランは無かったが、朝食のみ提供するカフェは備わっていた。シュトットガルトのホテルはIBISというフランス系のチェーンビジネスホテルで2人で1泊朝食つきで8000円くらいと激安だ。インターネットで直接予約が取れるので、大変便利だ。予約した物をプリントアウトしておけば、ほとんど英語を使わなくてもチェックインすることが出来る。部屋はコンパクトながらフレンチテイストのホワイトと明るい薄いグリーンが基調の明るいデザインで、清潔で快適だった。収納スペースは少ないがトランクを2つ置く場所くらいなら問題ない。ベッドも十分な大きさで一人一泊4千円というのが信じられないほど快適な物だった。IBISのチェーンホテルはこの後もミュンヘン、フランクフルトでも利用したがどれも格安でかつ満足の行くホテルだった。

 

 

ポルシェ工場と博物館へ。(6日目)

  
 シュトットガルト3日目最終日は、中央駅から北に位置するポルシェの工場と博物館を訪れた。中央駅から電車で30分程のNeuwirthaus(ノイヴィルトハウス)駅でおりて、左の写真のポルシェの大型ショールームが駅前にあり、始めこれが博物館とおもった。しかも、近寄っていくと閉まっていたので、がっかりし、それでもせっかく来たのだからとガラス越しに中を見回した。上段右の写真がそれだ。3階部分には昔のレースカーも多数展示されていてポルシェ博物館に違いないと思った。ガイドブックには休館日なしということになっていたが特別な祝日なので休みなのだろうと思い、あきらめかけていた。せっかく来たのだからと建築物としてもとても美しいこのショールームをもっと見ておこうと思い反対側に渡り記念写真をとったのが上段の写真だ。この写真で一つの横断歩行に5本も信号機があることも注意してみて欲しい。これが前に書いた歩行者完全分離式の道路信号である。車用の信号が大きめのもので、歩行者用のものそれよりも小さい物だ。信号の変化は日本よりも間隔が短いので点滅したら渡らないほうがいい。車は信号に従う限り理論的には人を絶対に跳ねないようなルールなので、日本の様にチンタラ渡っていると待ってくれない可能性もある。ショールームの反対側にはポルシェの本社ビルがある。この建物のデザインはスポーツカーメーカーポルシェのデザイン路線を完全に踏襲したもので、極めて個性的で素晴らしく、これまで見てきたどのメーカーの本社ビルよりもブランドイメージを表現しているものだ。日本のメーカーの本社ビルは情けない物ばかりだ。商社のような無味乾燥なつまらない建築ばかりで、車のデザイン同様にただただ個性が無い物なのである。ドイツのメーカーの本社ビルはどれもブランドイメージを踏襲する物で、一見しただけでどこのブランドの物か分かる物ばかりだった。このあたりの駐車場を産業スパイのように見て回っていると、なんと、ポルシェミュージアムはあちらという矢印札を同行者が発見した。それまで我々が、ミュージアムと思っていたものはショールームだったのである。矢印方向へ向かっていくと、ミュージアムまでは結構遠かった。歩きで15分はかかる。ガイドブックの駅から徒歩5分という記述は間違いだった。これに騙されて、ショールームをミュージアムと思ってしまったのである。はるばるドイツまで来て、すんでの所で見逃してしまうところだった。

 

 

 ポルシェ博物館はこぢんまりとした物で、車は全部で30台くらいだろう。しかし、始めてみるようなポルシェの初期の車を見ることが出来き貴重な物もある。上段右のクロのポルシェはかなり古い物だと思う、こういう初期の時代のデザインを見るとポルシェのデザインというのはあまり変わっていないとは思えない。古い物のデザインはやはりその当時なりの流行や形成の技術の問題からどれも似たような形になっていることが良く分かる。しかし、ポルシェの凄いところはこのデザインを急に変化させること無く、初期の時代のデザインをゆっくりと時間をかけて現代の形にまで進化してきたというところだ。これはとても難しいことだと思う。がらっと変えてしまうよりも、誰が見ても先代の面影を失わせること無く新型のポルシェだと思わせなくてはいけない仕事のほうがはるかに様々な制約があると思う。しかも、中身のメカニズムの変化は著しく、量的にも増大しても、その制約されたデザインの中に収めないといけないからポルシェのメンテナンス性は初期に比べ、近年では非常に悪いという。そこまでしてもデザインをじっくり変化させていく必要があるのは、ブランドをデザインに強く感じる顧客が少なくないからに違いない。ポルシェでもガラッと近代的な形にした車種も多数あるがどれもこれも評価は良くないし、マーケットでも成功してこなかった。こういうカリスマ性のあるブランドの車という物は性能よりもむしろ伝統的なデザインのほうがはるかに重要だ。もちろん性能的にも他を圧倒しないといけないから大変だ。こういう努力をしてこれたからいまだに高級車としての魅力は色あせず商品としても成功しているメーカーだ。

 

 
 
ポルシェの博物館に併設されポルシェデザインのショップもあるが、ここは祝日のため休みだった。洗練されたデザインのグッズが手ごろな値段で買えるのでおすすめだ。私は博物館内で売られていたキャップとシャツを買ったが、二つで6000千円くらいだったと思う。日本車でプアマンズ・ポルシェとしてポルシェのマーケットを席巻した日産の“Z”はモデルチェンジをして今のところ好評なようだが、個人的にはポルシェに比べたら、そのデザインはゴミ。と思った。写真写りはいいが実物を見るとその質感の無さ、ちゃちなインテリア、ちゃちな外装等、アメリカ人は物を見る目が無いに違いない。それはアメリカ人が作る車を見ればよく分かることだ。“Z”がポルシェを凌駕するなんてことは過去にも今にもおそらく未来にも無いであろう。そして、ドイツで“Z”が評価されるとは思わない。今ポルシェのライバルたる日本車としては、私はトヨタのソアラだと思う。値段的にも近い物があり、造り込みについてもある部分ポルシェに勝る部分もあるからだ。ポルシェの整備性の悪さに起因するであろう莫大なメンテナンスコストを考えるとソアラを選ぶのは十分ありだと思う。パーツの値段もポルシェの物は自動車に使う物とは思えないほど高級な物を使っているし、日本でのデーラーの販売価格は暴力的でさえあるのでソアラと比べると維持費を考えるとかなり分が悪い。新型のソアラはデザイン的にも性能的にも”Z”とは大違いで、ドイツでも十分やっていける魅力を持った車だと思う。ソアラがポルシェの市場を食いつぶす本当のポルシェキラーになると日本車もようやくここまで来たなと言う感じがするのであるが、ブランドイメージの浅いソアラは今のところあまり売れていない。

 

シュトットガルト郊外のルートヴィヒスブルグ宮殿へ(6日目)

ポルシェ博物館の更に北にルートヴィヒスブルグ(Ludwigsburg)宮殿というドイツ最大規模の宮殿があるので博物館の次はそこを訪れた。そのまま電車で行くことが出来る。書き忘れたが、トランクは中央駅のロッカーに預けて身軽にして行動しているので、徒歩もそれほど大変ではないが、駅から徒歩で宮殿まで向かうが結構遠い。ガイドブックにはこれもまた15分とかいてあったが、東京でわき目も振らずにカツカツに歩くようにしたらそれくらいで着くかも知れないが、初めての土地で景色を見ながら、楽しみながら行けば30分以上はかかるので、年配の方はタクシーを利用することをお勧めしておく。ガイドブックの徒歩何分というのは距離で計算しているに過ぎないと思われる。まるで当てにならないので、注意したほうがいい。しかし、歩けば、宮殿意外にもたくさんの美しい教会などが目に入り、とても美しい町並みに感動する。歩道は広く、町並みは清掃が行き届き、清潔で静かだ。

 

 

 ルートヴィヒスブルグ(Ludwigsburg)宮殿は非常に巨大な宮殿で今まで眼にした建築物でこれほど巨大な物は無い。庭の広大さも凄いが、なんといっても建物その物がでかいのだ。この宮殿の敷地以外にも周辺は更に広大な公園が広がり全ての敷地面積は相当なものだろう。とても美しい宮殿なのでシュトットガルトへ行ったならばぜひよってみることをお勧めする。


 

シュトットガルトからミュンヘンへの途中、ドイツ最古の町、アウクスブルグ(Augsburg)へ

 当初の計画では、シュトットガルトからミュンヘンへ自動車で旅し、そのところどころで古城めぐりをする計画だった。しかし、自分で車を運転するのはもうこりごりであったから、電車で移動することにし、交通の便が極めて不便なところに点在する古城を巡るのは不可能だった。バスチャーターでの観光プランも多種類あるのだが、不運なことに観光シーズンよりも数週早くまだ観光バスも出ていない時期で、かつ、この連休の祝日はドイツ人の場合みんなで家庭で休むらしく、観光産業もほぼ休眠期であった。そういうわけで、年をとってからでも行けるであろうツアーで組まれている古城めぐりは今回は完全にあきらめた。この旅に付き合ってくれた女性は古城めぐりもこの旅行プランに入れることをとても楽しみにして私の自動車の街めぐりの旅行に付き合ってくれたのだから、古城めぐりが中止せざるを得ない状況は非常に残念だったと思う。しかしながら、同じメルセデスの中でシュトットガルトで死に直面するかのようなハイスピードクルージングをしたためか、この決定を納得してくれたことは私にとって何よりもありがたいことであった。もし、是が非でもということになったら、もしかしたらまた無理やり車を借りることになり、二人とも生きて帰れなかったかもしれないと思うと、その女性の状況判断に命を助けられたという気持ちでいっぱいで感謝の気持ちは今でも忘れられない。

 
ミュンヘンへ行くには直行で行くことももちろん可能だが、その途中に電車でいける代表的な街があれば途中下車してみていくことにした。途中にはウルム(ULM)、アウクスブルグ(Augsburg)が美しい街として有名だった。電車の時刻表の関係から、ウルムは、車窓から眺めるだけにし、アウクスブルグでたっぷり時間をとって回ることにした。ウルムでは世界一高い塔がある大聖堂が車窓からも良く見えた。この街もとても美しい町並みが続くファンタスティックな街で、通称ファンタスティック街道と呼ばれる観光ルートの目玉の一つである。著名な物理学者アインシュタインの研究所もこの町にあったということでアインシュタインの泉という場所もある。時間がある場合にはぜひ訪れてみたほうがいいだろう。

 アウクスブルグはウルム以上に見所満載の街だ。アウクスブルグ中央駅から、まず、聖アンナ教会を訪れた。この教会は宗教改革者で有名なルターと強い結びつきがあり、鉄の門より中に入ることが出来たので、中庭に入った。大きな木の門のある内門があり、それを少し開けて覗いたら、なんと数百人いや数千人かもしれないの信者が非常に広い部屋にぎっしりと入っていてなにやら厳かな雰囲気で祝日の宗教儀式をつかさどっている真っ最中だった。しかもこの門は後方の場所のものではなくて前方の側面側だったので、すさまじい光景が一気に目に入り一瞬目に焼きついた瞬間にやばいと重い扉を閉じた。このときの光景は今でも目に焼きついている。ここを訪れる方、安易に扉を勝手に開けると大変なことになるかもしれないのでご注意を。

 

 アンナ教会から数分で市庁舎とペルラッハの塔につく。ここは市庁舎前広場と呼ばれ休日ということもあって人が非常に多い。広場にはたくさんのオープンカフェがあり、おしゃれなテーブルとイスが並び大勢の人が楽しんでいる。市庁舎としてこういう古い建築が実用されているのは本当に驚きだが、ドイツではむしろ一般的だ。補修費用などがかさんでも伝統的な建築部を実用するという根性には、やたらベンツは故障してもきちんとパーツ交換してやればいつまでも実用可能というドイツ車の魂と通じるところがあるような気がする。

アウクスブルグには他にも、アウグストゥスの噴水、マーキュリーの噴水、フッガー都市宮殿、シェッツラー宮殿など、古典建築の素晴らしい物が多数あり、どれがどれだったかは分からなくなってしまったが、写真だけ紹介しておく。

  
 
 全て歩きでも4時間くらいで回れるので、お勧めの街だ。自分で地図を見て歩いていくという旅のスタイルはツアー旅行では味わえない魅力があるので、そういう旅をするのに適した街だ。 市内には路面電車もくまなく走っているが、なかなか初めての街ではバスや路面電車は分かりにくいので利用できなかった。
 

 

 
BMWの街、ミュンヘン(Munchen)へ。(6日目)

 
 ミュンヘンがBMWの拠点ということはあまり知られてはいないのでは無いだろうか。私もこの旅行プランを立てるまでは知らなかった。ミュンヘンへついたのは夕暮れ時だった。ホテルまでは地下鉄を利用した。この頃になると地下鉄や電車の利用はかなり慣れたもので分かりやすいドイツの路線地図をみながら自由にどこへでも行くことが出来る様になっていた。ホテルはIBIS Munchen Nordで、宿代は二人で一泊83ユーロ(日本円で1万円くらい)、日本でインターネットで予約しておいた。食事は歩きつかれたのでそのホテルですることにした。ホテルで夕食をとるのは初めてだった。時間が遅いことに加え、この時期サマータイムのような感じで時間が一時間早くずれる時期(標準7時なら、8時として営業時間をみなす。)だったために、我々は少し営業時間まじかかオーバーした時間にレストランに入ってしまった。それでも、ややめんどくさそうではあったが、きちんと応対してくれた。その日はドイツの代表的な祝日だったのでおそらくその後彼は何か用事があったに違いない。トマトのスープとチキンとライスを注文した。トマトのスープは塩分が強すぎて私の口には合わないし体には間違いなく悪い代物だったが、チキンのほうはとても美味しかった。 料理のほうは一皿で少し高めで1500円〜2000円したと思う。こういう場合、チップは510%なら1〜2ユーロだ。営業時間を少し過ぎていたかもしれないのでチップを多めにあげようかとも思ったが、こんなところで見栄を張ってもしょうがない、2人分で2ユーロとした。初めのややめんどくさそうな応対が気になったことは確かだ。チップという習慣はほんの少しの応対でももらえる金額が大きく違ってくるものだろう。いい応対をする人とそうでない人ではそうとうな開きが出てくるだろう。この習慣めんどくさいといえばそれまでだが、最近、目に付く日本のやる気の無いパートのサービス業の方々にもこういう客への応対によって直接お金という分かりやすい尺度で評価されるシステムが必要になってきているかもしれない、と思った。チップを渡した時、一瞬苦笑した感があったが、さすがプロ、きちんと御礼を言うのであるから、この国は素晴らしい。朝食はドイツのホテルはどこも同じような物でコンフレーク、固めの美味しいパン、ゆで卵、オレンジジュースとミルクだ。きちんとたっぷり朝食を取れるので長旅でもばてる事が無かった。

 

ミュンヘンのドイツ博物館へ。(7日目)

 
 
博物館と聞いて、あなたはどういうところを想像するだろうか。私の場合、ありきたりの古い物が整然と羅列されていて、たいして興味を引く物もないし、漫然と眺めるだけで終わってしまう1時間くらいの観光コースというような先入観がある。これは、日本の地方の博物館にほぼ当てはまることで私のふるさと沖縄県の博物館や美術館という物もせいぜい2時間見るのがせいぜいである。しかし、ドイツに来て感動したことは先のシュトットガルトでもいくつかの美術館をみて回ったが、絵画の展示数が桁違いであることに加えその展示されている絵画は極めて高名な芸術家の作品が多数あることに驚いた。しかもそれらの貴重な絵画にガラス越しで無く、直接に20センチくらいまで接近し鑑賞でき、実際に絵を描くものにとってはその筆使いや色の重ね方など、立体視でしか得られない情報が得られるということに感動した。20センチよりも近づくとセンサーが穏やかに合図し館内をほぼ一部屋に一人いる職員が近づいてくるが怒鳴ったりはしないし、センサーに気づいて絵から離れてしまえば、ただ彼らは見ているだけだ。何もかもが、上品で静粛で美術鑑賞にふさわしい場を提供する仕組みが確立している。日本では、特に田舎では、高名な作品が来るとお祭り騒ぎの様に老若男女殺到し、馬鹿高い入館料を払い押し合いへし合いみるのが常である。子供ずれも多く館内はとても騒がしいが職員もお構いなしだ。お目当ての目玉は3枚とか酷い場合1枚のこともあるから、ドイツの普通の美術館の規模から比較したら話にならないもので、美術館と呼ぶことが恥ずかしいほどだ。ドイツの美術館はいくつも訪れたがそれぞれが非常に価値のある作品を収容していて、展示方法は同様にゆったりとしたものだ。まず自制できないような年齢の子供は館内にいない。この辺も日本人は見習うべきだ。話が、博物館から美術館にそれてしまったが、博物館についての考え方も美術館に関する物と同様、ドイツに来て大きく変化した。ドイツ博物館の規模は私の脳では想定不能なものであった。何時間見て回っても、時間が足りないので、日本でやる様に入館料がもったいないから一つずつじっくり見ていこうなどと考えてはいけない。そんなことをしていたら1週間ぐらいかかってしまうだろう。とにかく全ての館内を巡りその規模と展示スタイルと実物展示の迫力を経験することだけで精一杯なのである。最低でも6時間は予定を取っておいて欲しい。  

博物館への道すがらも素晴らしい序曲になるような美しい建築物と景色に囲まれている。写真は教会とコンサートホールである。非常に美しい公園内には大きな川も流れ細い橋がチョコチョコかかっていて川岸の生活の知恵も垣間見られる。橋一つとっても美しい物が多い。日本の端のデザインというのはデザインしました!コンペで勝ち抜きました!的な無粋で美しさとは無縁な物が多い。ドイツ博物館とともにその周辺特に川沿いの公園はお勧めだ。 

    

 

 

 

  
 
博物館の紹介だが、実際問題全て記述することは不可能だから、写真だけでも膨大にあるのでそれを示しながら、部分的に感想もコメントしていこう。入館料は2万円くらい取られても喜んで払うような規模の物だったが、なんと1000円以下くらいだったと思う。とにかく安かった。紹介は見ていく順路順である。

フォルクスワーゲンの車を輸出する輸送船の模型である。精巧で巨大なこの模型にも始めは驚いたが、この後、更に巨大になっていく展示物に驚くことになる。

この写真を見てどう思うだろうか?上に見える羽は実物の飛行機の羽だ。その両奥にももう二機飛行機の尾翼が写っている。展示スペースは広大だがそれでも収まりきれず天井から吊り下げている。正面に写っているのは宇宙船の断面を示す物だったとおもう。航空機用エンジンも多数実物展示されている。飛行機関係の展示スペースは体育館位の物が3部屋くらいあるのだが、どれも飛行機は実物展示されていてそのインパクトは気絶しそうなほど強烈だ。自家用ジェット機も展示されている。第二次大戦中の戦闘機も多数展示されていることは非常に興味深い。日本でゼロ戦を展示するときみたいにぼろぼろで特攻隊の無残な最期というような悲壮感はかけらも無く、完全に新品のように磨き上げられた機体として展示されているのである。このような物は物としてその独創性や機能美として割り切って展示する姿勢は十分に戦争を反省し理解した国民で無いと支持できない境地のような感じがするのである。

 

 

 
 これはルフトハンザ航空のジャンボ機の断面実物である。コンテナ部分の広さなど実物でしか演出できない強烈なインパクトがある。いくらイラストで同じ事がわかったとしても、理解することや知っているということとは全く違う次元の体感して感じたことがあるという学習効果は重要だと感じる。私は子供が生まれたばかりだが、小学生高学年になった頃に必ずこの博物館には連れてくる予定だ。“物より思い出”というとても好きな車のCMコピーがあるが、子供がいる方なら、特に男の子であれば、プラモデルで作ったあの飛行機の実物はこうなっているのだということは体感させる事は有意義に思う。ライト兄弟の世界初の飛行機も実物大で展示されている。ドイツの美術館もそうだが歴史的にかなり古い物や初めての物は大体どこでも展示しているのも印象的だ。

 
  
帆船も実物展示で3階分ぶち抜きで展示してある。船体内部も横断で見ることができ、船の中の構造を人目で体感することが出来る。

宮崎駿のアニメに出てきそうな飛行機もどきも多数展示され、人間の想像力を感じさせられる。

楽器についてもバイオリンからピアノから民族楽器から無数多数でかい物から小さいのもまで展示されそれだけでもそうとうなスペースがさかれている。楽器をやる人にとってはかなり価値のある資料になると思うので、ぜひ訪れてもらいたい。

 
巨大なパイプオルガンはなんと演奏されている状態で鑑賞できた。初めて聞くパイプオルガンの演奏は重厚かつ丁寧なもので大変感動した。

 

 
 化学の分野における歴史的な進歩の経過も大きなスペースでふんだんに視覚的に分かりやすい実物の資料や模型で説明されていてあまり興味のない人から、実際その分野でやっている者にとっても新たな発見やその表現方法に大胆さに驚く。

 
 
これは機械式全自動体重測定器で50円くらいのコインを入れると自分の体重を打刻した紙が出てくる。内部が透明で見えるためにその機械的な働きが目に見えるためとても面白い。

宇宙関係の展示でも実物大?実物?の人工衛星が多数展示され日本ではこれだけでも十分一つの博物館として通用するレベル。

  

   

陸の乗り物関係も凄まじい展示物がおおい。実物の汽車も多数あり、機械の迫力が身に伝わる。自動車も多数あるが、どれも貴重な物ばかりだ。これだけあると細部まで見ている暇が無いのが惜しいところだ。


自転車も創世記の物から珍しい形態のものが多数展示。

 

ドイツ博物館ここまででももう十分、頭も足もくたくた!と思っていたが、真のこの博物館の目玉である地下の発達の歴史、地下道での展示に足を踏み入れたら、ここまでの物は半分くらいの感じに思える。とにかく信じれぬほど多く、長く、上に行ったり下に行ったり大変なのである。しかし、見たことも無いその世界観に引き込まれ疲労困憊にもかかわらず全て見ていきたいという好奇心だけで体と目が働き続けるのである。写真の物は全て実物の公道内に再現された地下道建設や炭鉱労働の説明である。重機は全て実物である。地下の建設に膨大な歴史と人名と人間の英知が投入されたことが身にしみてよく分かり、欧州先進国と呼ばれる諸国でもつい最近まで血のにじむような努力と犠牲が投入されたおかげで今の高度な文明があることを考えさせてくれる。

 

  


以上で、この壮絶な博物館の紹介を終えるが正直言ってまだまだ書き足りない。ぜひ人生で一度、できれば少年期に訪れて欲しいと思う博物館である。ドイツには自動車の博物館も多数あるが、ドイツ博物館はそのどの博物館と比較してもあらゆる面で充実したものだった。

ナチスドイツ時代のユダヤ人収容所GEDEKSTATTE (7日目)

 
 ミュンヘン近郊にユダヤ人収容所があることを知り、予定に入れているコースではなかったが急遽訪れることにした。ユダヤ人収容所としてはアウシュビッツが非常に有名だが、アウシュビッツ以外にも多数のユダヤ人収容所があったことはあまり日本では知られていないのではないだろうか。私もドイツを訪れ大規模な収容所がいくつもあることを始めて知った。電車で付近の駅まで行き、バスに乗って収容所に行く。収容所を訪れる人はとても多くて、往復のバスは満員であった。日本人も数人いた。行きのバス停では大学生らしい日本人女性がタクシーに乗り込むのを見たが、同じ収容所でも見かけ、帰りはみんなが乗るバスに乗車していた。行きはどのバスに乗るのかわからなったのであろう。ドイツ人は親切な人が多いが、聞いて見なければ教えてもらうことも出来ない。聞けばたいていきちんと教えてくれるから、なんでも金の力にまかせタクシー運転手に日本語のガイドブックを指差してここへ言ってくださいというスタイルで旅行するのは旅行をつまらなくしてしまうのじゃないか。この頃になるとあらゆる交通機関の乗り方を把握し始めた我々はだいぶ慣れてきたものだと自画自賛した。

   
 収容所は広いことは広いがアウシュビッツの様にとんでもない広さというわけではないので、歩いて回るにはちょうどいい。展示されているものには懲罰用のたたき台など、こんな物もあったのだと始めて知るような残酷な物もあった。しかし、宿舎の中は意外に清潔でベッドもきちんとした物で空間としても十分、処遇としては人権意識の高い欧州では普通以下と取れるかもしれないが、日本の現在の代用監獄(拘置所)のような地べたにセンベイ布団でトイレ剥き出しというペット並の部屋と比較すると並以上と思えてしまう。収容所とはいえ、使い方を変えれば寄宿舎になる感じだ。

 有名なガス室もこの収容所にはあった。これもまた、一見その残酷さとは裏腹に清潔な空間にきちんとした空調のようなガス装置があるだけで、ユダヤ人がシャワーと言われて入れられたというのも無理が無いとおもった。建築自体のセンスがかなりいいから、そこで行われていたことを想像するのは難しい。懲罰房の個室はなかなかの広さで日当たりも比較的いい物だった。米国の映画で出てくるような日が一筋も入らない独房というイメージではない。このあたり、欧州なのだなと感じてしまう。米国人や日本人は欧州から比べるとかなり人権意識が低い制度とお国柄と捉えられているのもこういう収容所を見ると納得がいく。ただし、そこで行われた大量虐殺はまれに見ない酷い物だったのだが、ハードウエアとしての環境としての残酷さという視点からそう思うのである。 アウシュビッツばかり有名であるが、近郊にもこういう収容所があることがもっと知られればと思う。アウシュビッツはかなり遠くドイツ国内ではない。そこに訪れるには丸1日つぶさなければならないから、今回我々の訪れたGEDEKSTATTE4時間もあれば往復の時間も入れても十分回れるのでお勧めだ。


 
この日の夕食も前日とおなじ宿泊しているホテルのレストランでとった。カモのステーキだがとても美味しかった。値段は2000円くらいだったと思う。肉料理とドイツビールの組み合わせはとてもいい。日本人客が良く泊まるような高級ホテルではこういうものを頼むと4000円から6000円くらいするので、泊まる時は身の丈にあったホテルを選ぶということも大事だなと感じた。意外なことだが、日本人が泊まるホテルは超高級レベルの物が多く、大学生などが泊まる所でもその国ではとても普通の人が入れるクラスのものではない高級なホテルが多い。普通のレベルのホテルを日本の旅行代理店が組み入れなかったり斡旋しないというのはどう言うことだろうか?日本人にとって一泊一人1万から1万五千円というのは標準的という感覚がある。2人だと2万から3万という感覚だ。それ自体がべらぼうに高いということに外国旅行でホテルを自分で予約を取ってみると分かる。外国では2人で3万円も出せば高級ホテルに泊まれるのはあたりまえだ。普通クラスの十分清潔なホテルで2人で1万円〜15千円で泊まれるのだから。欧州旅行が身近な物にするためにはまずホテルをインターネットで自分で頼んでみるという事が重要だ。日本の代理店はマージンの大きい高級ホテルしか扱わないのだから。


BMW本社と併設博物館へ(8日目)

 

  
BMW
のイメージは何ですか?おしゃれなスポーツタイプセダンですか?メルセデスやVWと比べると軟派路線?医師や弁護士が乗る車?高級外車?いずれも私がドイツを訪れるまで感じていたイメージです。私はそのイメージがドイツを訪れて変わった。その理由はBMWはドイツではメルセデスやゴルフに比べるとあまり走っていない。メルセデスの街シュトットガルト、VWの街ウォルフスブルグでは地元メーカーの車が多数走り回り大変目に付きましたが、ミュンヘンではBMWが多いかというとそのような印象は無くメルセデスやゴルフが相変わらず多い。で、博物館を訪れても前二社に比べ、規模も展示数も小さく、訪問者も少ない。おしゃれというイメージも日本で言われているほど博物館でも感じられない。で、私の偏見に満ちたBMWの感想はドイツのホンダ?イメージ先行で販売は外国で好調だが国内シェア低く、VWAUDI程デザインという観点からも先端をいっているわけではないメーカー。博物館も普通という感じなので無理して日程に入れるほどではないと思う。BMWが好きな方なら古いモデルは流麗な美しいデザインの車もいくつか展示されているし、オートバイのほうも充実しているからおとずれてみてもいいだろう。

博物館は少しがっかりだったが、近くのオリンピック広場がとてもよかった。ここの展望台に登ると博物館の屋根部分が巨大なBMW紋章になっているのがわかる。広場は祝日とうこともあり大勢の人でにぎわっていた。もし、BMW博物館を訪れるなら、是非すぐそばにあるオリンピック広場の展望台に登ることをお勧めする。

 

 

 

ミュンヘン市内高級ショッピング街(8日目)

  

中央駅付近は重要文化財の林立する文化都市で、また、高級ブランドショップ街でもある。こういう街に来ると大型のメルセデスベンツ(特にSL)やポルシェなどの高級車が町中いたるところで見受けられ、高級ブランド品も町中にあふれている。しかし、東京と違うのは町の建物がそれらの単なる工業製品に比べても見劣りしないほど伝統的で荘厳なものであり、日本の様に物だけが浮いてしまっている感じとは違うのである。古めかしい大げさな伝統的な建築物を綺麗に維持していくのは相当のお金がかかる。そういうことにコストをかけられる余裕があるもののみが何十万もするカバンや服を着て何千万もする車に乗る資格があるのですよ、と言われているような気がした。日本人みたいに文化を大事にするコストを負担する余裕も無いのに小物に走るのはこっけいな感じがしてならない。高級ブランド物なんて違う世界の人のものなのですよ、と感じた。何割引でどこどこの店が安いとか貯金して買うとか日本のOLさん達の勘違いがかわいそうになってしまう。自動車にしても新車に乗るよりもむしろかなり古い車をぴかぴかにして乗ることがステータスなので古いメルセデスも何台も見かけた。古い車を綺麗に維持するのは新車を買う以上にお金もかかるがそれ以上に物を本当に愛する心とか寛容な心が無いと無理なのだ。写真のかなり古いモデルのメルセデスのドライバーも非常に神経質なまでに車を大事に運転し車庫に入っていった。BMWを目の敵にしているわけではないが、古いBMWは御目にかからなかった。
 

 

高級温泉街バーデンバーデンへ(9日目)

 

   
ドイツでの旅行も9日目になってくるとここで暮らしていけるのじゃないかと思うほどリラックスしていた。英語で話すのも慣れてきたし、有料トイレの入り方も分かってきた。無料のトイレがありそうなところも分かってきた。電車や新幹線での席の取り方も分かってきた。食事の注文も慣れてきてチップもさりげなく渡せるようになった。自分で旅行してみないと何一つ身につかないことばかりだ。何でもかんでも添乗員に日本語で苦情を言いまくれば事足りるようなツアー旅行では得られない本当の旅行が味わえた。
 

バーデンバーデンへは新幹線で移動した。バーデンバーデンもとても美しい町だった。宿泊したホテルは車で移動することを念頭にして予約していたホテルなので市外のラスタットのホリーデーインだった。ラスタットに着いてその周辺を散歩してみたがなかなかいいところで静かな街の中に教会と思われる建物を中心に広場があって大勢の人がカフェでゆったりと休日を楽しんでいた。ドイツには小さな町でも立派な教会と庭園を備えた宮殿があり両社とも綺麗に開放的に整備された公園として人々に愛されている。何でもかんでも柵で囲ったり、入場料を請求したりする日本の文化財建築とは対照的に日常の憩いの場として機能している点はとてもうらやましい。こういう使い方をするなら税金で維持していくのに多少コストがかかったとしても民意が得られるのだろう。河も無粋なコンクリートで固められた日本の河とは違い自然と人間がうまく共存できるような美しい形で残っている。ゴミも全く流れてはいない。昼食はKEBAP HOUSEというメキシコ風?のお店に入った。移民が経営しているそのお店にはドイツ人は皆無で外国人だけの店員とお客であったが、難無く注文をして席に着いた。日本人が珍しいのだろうか移民たちは口々にジャポネーといていた。食べ物は豚肉?を細切れにベーコンのようにしたものをパンで食べるものでとてもおいしく量も値段の割りにたっぷりあった。パンなどは多すぎてすべては食べられないので、食べ残しは持ち帰ることにした。

 

  

 
 
夕方になり一息ついてから、ラスタットからバーデンバーデン市内に電車で向かう。1駅分しか離れていないので交通は便利だ。バーデンバーデン駅からはバスに乗り、市内中心部のレオポルド広場へ向かう。バスの乗り方だけはどの町へ行っても難しいもので、いったいどのバスのいくらの券をかえばいいのかわかりにくい。日本と違い、いちいちチェックするシステムがなくほぼ自己良心に委ねられているから、尚更わからない。バス停で自動発券機の前で細かい説明を読んでいたら少年が、どこへ行くのかと尋ねてきた。“レオポルドパーク”と言うとすぐにわかったらしく、このボタンを押せばいいということを教えてくれた。これでバスの券と乗る場所を教えてもらうことが無事できた。駅から、レオポルド広場までは意外と時間がかかる。バスだからあちこち迂回して向かうから仕方ない。レオポルド広場についたときには日が落ちる間近になってしまった。治安がどうかもわからない町に日が暮れるまでいるのはとても危険だ。少しあせってきたので足早に見たいところを回ることにした。まず、有名なフリードリヒ浴場へ向かう。ここの浴場の外観はたいしたもので、気軽に入れる雰囲気ではまるでない。誰でも入れるようではあるのだが、威圧的な門構えがそうさせない。時間的にも入浴時間は終わっていたので、もし来るならば明日にということにした。つぎはカラカラ浴場だ。ここはフリードリヒ浴場に比べるとまだ入りやすい雰囲気であった。両者とも非常に有名な温泉ではあるのだが、日本の温泉のような感じとは違う。少し年配になり経済的にゆとりもある人しか行ってはいけないような無言の圧力を感じた。若者がおいそれと行くような場所ではないと。パンフレットにはそんなことはどこにも書いてないから、入ってもいいのだろうが。今度、もう少しおじさんになってから行くときの楽しみに取っておくというのもいいだろう。

周辺の丘の上の修道院もとても美しい。修道院には孤児であろうか、大勢の子供がいてわれわれに声をかけてきた。こまごまとした路地は方向感覚を失わせ、夕暮れになりますます不安を増幅させるのだが、美しいその町の魅力に取り付かれたわれわれは町を散策せずにはいられない。かなり古いタイプのジャガーが止まっていたがなんともこの美しい町にあっているのである。

   
 


 
クアハウスという高級賭博場もおとずれてみた。この施設もいかにも超高級という感じで場違いなものだった。中にもはいってみたが、きわめてフォーマルな空間で賭博場の外から中を眺めるのが精一杯だ。日本人だから、服装もそうひどくはないから、無礼な扱いを受けたりすることは全くなかったのだが、出入りしているのは中年か老人紳士淑女ばかりの感じなので、入るのは躊躇してしまう。

日も暮れ、最終の岐路の電車の時間ぎりぎりになったので、タクシーで駅まで向かう。500円くらいしかかからなかった。2人で行くならバスよりもタクシーのほうが便利だった。タクシーの運転手はこのような高級社交街で乗ったにもかかわらず近距離でもいやな顔ひとつせずに駅まで迅速に送ってくれた。速度は出ていても運転そのものはとても丁寧だから日本のタクシーのように恐怖を感じることはなかった。ドイツに来てとても安心してタクシーに乗れるということは感動したことのひとつだった。私の住む沖縄県ではタクシー運転手のマナーの悪さは観光客のみでなく県民からも大いに指摘され新聞でもしばしばとりあげられるほどであるが、生まれながらの育ちの悪さも大きいのであろう日本のタクシーは大いに問題ありというのはもはや常識ではないだろうか。経済至上主義、拝金至上主義の国ニホンは本当に生活しにくい国であると改めて感じてしまった。

 

ドイツの大都市フランクフルトへ(10日目)


 
バーデンバーデンの温泉に行くか、フランクフルトへ早めに行くか迷った。同行者がフランクフルトにもオペルの工場があり見学できるということがガイドブックに乗っているということを発見した。どちらも大変魅力的だが、温泉はやはり入りづらい雰囲気があったことはお互いに感じていたし、見知らぬ外国で全財産をかばんに入れて移動しているわれわれに取り、温泉場の預かり場でそれを奪われるリスクもゼロではなかったので、もう少し余裕ができ、かつもう少し安心して財産・パスポートなどを預けられる高級ホテルに泊まれるようになってから訪れてもいいのじゃないかということになった。私自身はオペルを訪れるのは全く考えてなかったから、せっかくのドイツ旅行だから、彼女だけでも温泉に行ってもらい私は荷物番をしてもいいと考えたが、彼女のほうからオペルを訪れることを希望してくれたのでそうすることにした。実はこの決定がこの旅行の最後をいっそうよかったと思えるものにしてくれた。VWの工場もよかったが、工場見学という意味ではオペルのほうが何倍も濃密で丁寧な解説と時間を割いたもので充実したものだったからだ。ドイツで訪れた自動車メーカーはVW、メルセデスベンツ、ポルシェ、BMW、オペルであったが、最もお勧めするのはオペルなのである。オペルの工場見学については後で詳しく紹介する。

バーデンバーデンからフランクフルトへは新幹線で行く。車窓を眺めながらの新幹線での旅はこれで最後になるかもしれぬから、ドイツの郊外の美しい田園風景を十分満喫しながら、朝からフランクフルトへ向かった。


フランクフルトの博物館巡り(10日目)

 
 
旅行10日目は曜日の都合か込み具合のせいかでオペル工場見学ではなく、フランクフルト市内の多数ある博物館巡りをすることになった。荷物は駅のコインロッカーに預け、身軽になってから巡った。フランクフルトの博物館通りには、郵便博物館、建築博物館、映画博物館、民族博物館、手工芸博物館、ユダヤ博物館、シュテーデル美術館が立ち並ぶ。我々は建築博物館、映画博物館、ユダヤ博物館、シュテーデル美術館を見学したが、どれも料金は学割では入れたので300円くらいであったがその内容はどれも充実したものだった。


 
特に映画博物館は非常に歴史的に貴重と思える映画創世記の映像装置が多数あり実際に操作して利してその原理を知ることができ大変興味深いところであった。子供ができたらぜひ連れて行きたいと思った博物館である。ドイツ博物館には何でもあると思っていたが、こういう専門的な博物館はまた一味もふた味も違うものがあるからドイツの博物館というのは本当にすばらしい。


 
シュテーデル美術館は門構え建築自体も大変荘厳で立派なものでこういうすばらしい建築物が美術館として使われているというのは全くうらやましい。日本の美術館は近代建築的な不気味で奇怪な伝統も何も感じない奇妙奇天烈な建築のものがとても多く、美術というものを展示する場としてふさわしい箱物にはめったにお目にかからない。建築を見抜く審美眼を持たぬ美術館の責任者がすばらしい作品を収集することもまたありえないことである。ほとんど有名外国美術館の借り物や、それらで評価されたものを無理やり金に任せ収集したに過ぎないので展示方法から何からあべこべであることが多すぎる。シュテーデル美術館は中身の展示も大変充実したもので、その保守的な建築とは裏腹にピカソなどの近代芸術を中心としていたことも非常に面白い。ピカソも数点有り非常に大きい作品があり初めてみる作品も多かった。ピカソの似たような画風ではあるがより洗練され迫力がありピカソ以上にすばらしいと感じた画風の画家のものも多数展示されその画家Max Beckmannのファンになってしまった。

フランクフルトの街並みは東京のものとはかなり違う。高層ビル一つ一つがかなりシンプルであるにもかかわらず個性的で景観としてとても美しい。空気も汚染されておらず写真の通り青空もすばらしい。大型トラックなどの排気ガスも日本で感じるようなひどい車は見られなかった。歩道もきれいに整備され広告やオートバイの散乱も認められず、歩きやすい。大勢の人、多くの建物、多くの車があるはずなのに窮屈な感じや汚染された感じがしなかった。それは街中どこへ行ってもそうだった。フランクフルト市内にも多くの古い建物が存在し、現役である。写真は改修工事中の大聖堂である。改修の仕方もユニークで帽子のようなカバーをつけて中で作業が行われているようだ。古い建物があちこちで修繕されているのをドイツ中どこでも見ることができた。ドイツ車というのもまたそうなのであろう。私の所有するドイツ車も結構老齢になってきていてあちこち壊れていくが、部品の供給に問題はなく修理可能である。結果的には経済的ではないかもしれないが、古い建物同様に使い慣れた同じものに末永く接していけるという安心感は経済性だけでは語れぬ部分である。

 
ゲーテ広場近くをデパートの上の展望台に登り撮影した写真だ。デパートの上には手ごろな価格で町を一望できる開放的なオープンエアのカフェがいくつもあり大勢の人が美しい空と空気と町並みを眺望しながら休日を楽しむ。文豪として著名なゲーテの生家がここにある。

  


 
ユーロ共通通貨はわれわれが旅した20024月ではすっかり定着していた。しかし、ユーロが実際流通したのは20021月からだからものすごい適応性である。街中ではドイツマルク表示は皆無であった。田舎でも同じで、きちんと法律でマルクは使えないように、また、表示させないように指導が行き届いたためだろう。この時、1ユーロは120円くらいだったと思う。大体100円という感覚で計算してやっていた。貨幣は日本円に比べるとかなり立派でコストがかかっていた。ユーロ流通の年にドイツ旅行できたのもいい記念になった。

 


 
フランクフルトにはメルセデス博物館のミュージアムショップよりも立派なメルセデスブランドショップがある。このショップはとても多種多様なメルセデスブランドの衣類や防止、時計、ミニカーなどが売られていて充実しているので、もしグッズを探したいのであればこのお店で選ぶことをお勧めする。私は一目でこのメルセデスSLの電動カーがほしくなった。286ユーロで日本円でおよそ35000円であるが仕上がりは非常に美しくディスプレイに耐えるものである。しかしながら問題は電動であることにつきものの電圧関係であり、日本で充電できるかが不安であった。またかなりの大きさになることから、送料が15000円近いという事だったので、残念だが止めた。しかし、同じものがヤナセで買えることがその後ヤナセに問い合わせてわかった。ペダルカー 300SL    品番:9500 0394(希望小売価格¥29,900)、電動カー  300SL    品番:8820 3129(希望小売価格¥49,900)というお返事だったので、欲しい方は問い合わせるといいだろう。私は少し高いのでまだ様子見だが、子供が大きくなったら買ってしまうかもしれない。

フランクフルトでの宿泊先はIBIS Friedensbrkeで二人で一泊70ユーロだった。朝食つきの値段で都心の清潔なビジネスホテルが9000円というのは日本ではとても考えられない。ドイツもけして物価が日本より安いというわけではないから、日本のホテル業界がいかに暴利を得ているかということがわかる。2人で9000円では心配という心配性な日本人もいるかもしれないが、そんなことは全くない。日本の普通のビジネスホテルよりはるかに清潔で、少し狭いという欠点はあるが、内装はしゃれていて家具もしっかりとしたものだし、快適なことはIBIS系列のホテルに関しては保障する。写真は日暮れをホテルの窓から撮影したものだ。美しい街並みと川と空気、東京には無いものである。このホテルには朝のみのモーニングバイキングのみのレストランで、夜はやって無いから、夕食はすぐ近くのイタリア人のやっているパスタ屋で持ち帰りをして食べた。これがとても、安くてうまいのである。500円くらいでたっぷりのパスタにシンプルな具材なのだがペペロンチーノもナポリタンもカルボナーラもとても美味しいのである。日本で食べるものは贅肉がのりすぎたような感じで、スパゲッティーってシンプルなおやつみたいな存在だけどとても美味しいものだということがわかった。翌日も昼食はこの店だった。ひとつ注意点として、日本ならテイクアウトにすると、プラスチックのフォークがついてくるがこの店はついてこない。多分ドイツではそれで普通だ。フォークだけ、ホテルのカクテルコーナーのバーテンさんに頼んで貸してもらった。いやそうな顔ひとつせず、丁寧にナプキンに包んでフォークを貸してくれたあのバーテンダーの心意義もありがたかった。


オペルの街 RUSSELSHEIMへ(11日目)


 
バーデンバーデンからフランクフルトとへ向かう途中でオペルへ電話して問い合わせたところ、旅行10日目は既に工場見学ツアーが終わっているという時刻ということだったので、11日目に予定していた市内散策を10日目にして、11日目にオペル工場見学となった。オペルの工場見学は記載があるガイドブックとそうでないものがあり、私の持っていたガイドブックには記載が無かったのでその存在を知らなかったのだが、同行者が持っているものに記載があり、訪れるきっかけになった。”OPEL Live Plant Tour”と名づけられたこの工場見学は、早めに現地を訪れ直接予約をして先着順に見学させてもらうグループに組まれていくというもので、あらかじめ予約というのはやってないらしいが、早めに行けばまず問題ないだろう。場所はフランクフルトから、電車(S-Buhn)に乗りRUSSELSHEIM駅で降りる。その駅からはひたすら“OPEL Live”の立て札が道々に立っているのでそれに従い歩いていけばいい。徒歩で10分くらいではつく距離では道すがら美しい街並みをゆっくり見ながら行くと30分くらいかかる。

 
 
オペルの本社の建物はオペルらしい新鋭なデザインで個性がはっきり現れている。それでもちゃちいと思わせない精密なデザインだから後何十年か後に見ても色あせるようなことは無いだろう。オペルの美的なセンスはなかなかのものだとかんじた。ちょっとした博物館になっている見学者用ロビーでオペル車をいろいろ見る。これまであまり意識していなかったメーカーだっただけに、改めてデザイン面ではかなりがんばっているということを感じた。ただし、VWに比べるとそのセンスは新しいのだが古臭い新しさとでもいおうか、10年前に未来の車をデザインしましたというような感じがしてしまうのは私だけだろうか。スピードスターもナンバーつきで本社内の駐車場に止まっていた。これなども、きわめて斬新なのだけど、どこと無く古いという感じがしてしまうのである。VWのデザインのような古いものから徐々に開花していくような真なる進化のデザインの新しさというインパクトが無いのが残念だ。一言で言ってしまえば飽きが来るデザインである。

工場内は撮影禁止だから、写真はなにも残っていないが、ツアーはとても充実したものだった。VWの工場見学で乗ったような数珠繋ぎのバスに乗りガイドによる案内を受けながら工場内を本当にくまなく回ってくれる。要所要所ではバスから工場内に実際に降りて製造工程を目の当たりにすることができ見学できる。オペルでしか見られなかったものにロールされた鉄板からそれが引き伸ばされ、プレスされ車体のフェンダーやドアになっていく製造過程の実際を見ることができることだった。これは、感動の一言に尽きる。自動車をつくるのに要する巨大なプレスマシーンは想像をはるかに超えた大きさのもので、このような装置をいくつも必要とするため、“自動車作りなんて儲かる商売じゃない”と産業界で昔、言われていたことが理解できるようなかんじがした。膨大な資本投資が必要なのに、肝腎の車自体が些細な問題で、たとえばちょっとしたデザイン上の嗜好等で全く売れなければその利益は全く無いのだから、まさに博打に近い商売なのである。博打のような商売だからこそ、輝いているということもいえるのかもしれない。

繰り返すが、工場見学という意味ではオペルのほうが何倍も濃密で丁寧な解説と時間を割いたもので充実したものだった。ドイツで訪れた自動車メーカーはVW、メルセデスベンツ、ポルシェ、BMW、オペルであったが、最もお勧めする工場見学ができるのはオペルである。

 

ドイツ最大のフランクフルト動物園へ(11日目)

 

 

オペル工場見学の後午後はドイツ最大のフランクフルト動物園へいった。この動物園は動物と人間の共存を目指す構造で動物がのびのびと柵に入れられることなしに生活できるようになっていることで世界中から高い評価を得ている動物園である。写真を見て欲しい、キリンと手前にかわいいドイツ娘との間には柵は存在していない。あまり意識していないとこのすごさを感じられないのだが、柵が無いことに注目して広大な動物園内を回ってみると巧妙な動物園のこのシステムに感激する。しかし、いまだなぜ動物がわずかな植樹を飛び越えたりしないのかわからないのだが。この動物園の魅力はそれだけではなくもちろん充実した動物、魚、特に猿は日本では絶対に見れないような内容の濃い展示となっている。ドイツ人の作る動物園は日本のようなお子様向きという感じではなく大人の鑑賞に十分堪えうる学術的にも非常に高度なものとなっている。この動物園もとてつもなく広いから、全部丁寧に見ていると2日くらいはかかってしまうのである程度飛ばしてみていかなければ旅行日程がいくらあっても足りない。ここも、ぜひお勧めする観光場所である。ドイツといえばツアーでよく組まれているのは古城めぐりであるが、ドイツに着てまでそんなものだけ観て帰るのは馬鹿らしいと思う。中身のぎっしり詰まった吸収できないほどの物量と人知を体感してドイツの魅力をしっかりと体感していくような旅行をして欲しい。人生を変えるほどの感動があるというのは大げさではない。


 
ドイツ旅行最後の夕食は贅沢をしていくことにした。一流ホテルインターコンチネンタルでフルコースを頼み本格ドイツ料理の味とドイツワインを楽しんだ。ドイツ料理はジャガイモが必ずついてきたが、それはこういう店でも同じだった。驚いたのはアスパラガスの太さだった。味付けは控えめで肉の素材と薄い塩味で肉のうまみを楽しむというスタイルにもだんだん慣れてきていたのでこの牛肉料理も大変おいしく食べることができた。ソースが無いとさびしいなと思っていた日本人は10日あまりの旅行で塩味だけで十分肉料理を楽しめるようになったのだからドイツ料理も慣れが必要ということだろう。ドイツ料理はまずいという定説があるが、慣れてないだけで、慣れれば、素朴で上質な素材の味を生かす日本料理に通じるような美味しさがあることに気づいて欲しい。

 

 

ドイツ最終日(12日目)

 


 
とうとう最後の日がやってきたという思いが強かった。もう数日いてもいいなという感じであった。フランクフルトは空港に近く交通の便は全く問題ない。電車も慣れているので心配なことは無い。リラックスして、駅に向かい、駅内の売店でドイツビールとドイツソーセージを昼間から求め食べる。ビールを昼間から飲むことにも何も抵抗が無い。日常的なことになってしまっている。ビールは写真の大きな500cc缶でも150円くらいだ。安い。ビールを飲み終えたら、電車に乗る。乗るときには取っ手をつかみ開かなければ自動的には開いてくれないこともわかっているので躊躇せず取っ手をつかむ。どんどん電車は進み見慣れたドイツの街並みが目の前をとおりすぎていく。少し疲れは来ていたが、いい旅行だったと心底おもい、またいつの日か来ようと思う。フランクフルト空港に着く。後はドイツとは別世界の国日本へ帰るだけ。帰りの飛行機は日本人ツアー客でひしめき合いすっかり日本ムードだった。マナーのなっていない日本人老人たちが郡をなしわれわれを取り囲み田舎者の群集心理だろうかやりたい放題で機内を過ごす。飛行機から降りるときドイツに行くときのドイツ人中心の便では見られなかったひどい光景を目の当たりにする。床中に紙コップや、ちり紙やビニール袋が散乱しまるで東京の路上の様に汚染されていた。日本人添乗員もこの帰路便には乗っていたから、彼女たちの甲高いあくせくしたあわただしいお客のさばき方にも日本の温泉旅館で感じたような騒がしいサービスを思わせた。久しぶりの雑然騒然とした世界に私は軽蔑と失望を感じずにはいられなかった。個人主義と公共マナーの国ドイツは僅か12日の旅行で感じたことだけでしかないが私のような個人主義な人間にはあっていたなと感じた。もちろん実際生活してみればまたドイツの問題にも目が行ってしまうようになるのかもしれないが、一度チャレンジするくらいの価値はあると思った。この旅行で得られた経験は私の人生観と、日本人観に大きく影響を及ぼし、ほぼ間違いなく私の人生にも大きな影響を与えると思った。この旅行記を読まれた方が一人でも多く、ドイツを添乗員任せのツアーではなく自分の足と知恵で旅行してくれる道しるべになればと思う。自動車に特に興味をもたれていない方であっても、この旅行記は自動車だけでなくドイツ文化を体感するために訪れておいたほうがいい施設やホテルの選択、食事の選択の手助けになると思う。このドイツ旅行の総費用は3035万円くらいであった。日程を縮めても、11万円も食費込みでも使ってないからほとんど総費用は変わらないだろう。12日間という日程はちょうど適切な設定だったとおもう。これ以上だとやはり少し疲れがあったり、電車の乗り放題券を買い増す必要が出てきてコストも余計に必要になる。自動車が好きな方なら、迷わずこのプランでフォルクスワーゲン、メルセデスベンツ、ポルシェ、BMW、オペルのドイツ自動車会社を回って、更に車関係以外のドイツの魅力も十分に楽しんで欲しいとおもう。